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道路・交通の発展

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 町の発展は交通の発達と共にあり、道路の整備は自動車時代を迎えてさらに、その重要性をましていった。高根沢町は国道四号線が縦断し、また重要な産業キリンビール栃木工場が花岡に建設されて輸送路として道路整備の重要性がさけばれてきた。また最近では「情報の森」に象徴される情報産業の中心地へ発展する動きもあり道路整備の充実はいや応なしに必要度を高めてきている。
 町域の最も重要な幹線道路は国道四号と宇都宮・烏山線の「宝積寺バイパス」である。宝積寺バイパスの開通式は昭和五八年(一九八三)四月八日石末地内の分岐点で行われた。このバイパス(総延長三八七七メートル)は、宝積寺及び石末の旧市街地を避けて通る道路で、一日当りの推定交通量が、昭和六〇年には一三、六〇〇台に達することを予想して県が国庫補助事業費として二〇億の予算を計上し、四七年から工事をはじめている。この宝積寺バイパスの建設は宝積寺台地東部の開発の起爆剤となり、住宅地開発とバイパス沿線の商業地開発が計画されて、現在の宝石台、光陽台の発展へとつながっていった。
 しかし、道路の整備にともない交通事故が多発し、六一年は発生件数一〇一件、死者五名負傷者一二七名と前年に比して発生件数三二件増、死者三人増、負傷者三八名増となり人口一〇万人当りの死者数は県内三七町村中ワースト七位の汚名をうけた。町は交通安全運動をすすめ、ドライバーへ安全運転を呼びかけるため、昭和六二年春の全国交通安全運動が始まった五月一一日、石末駐在所東側のバイパス沿いに「交通関所」と「交通安全慈母観音」を設けて交通の安全を願った。
 高根沢町にとっての朗報は国道四号線の鬼怒川橋の完成である。従来の鬼怒川橋は大正一四年(一九二五)に架設されたもので、老朽化がはげしく、昭和四六年度に下流一二〇メートルに新鬼怒川橋を新設してその使命は果した。その後、交通量が一日二万三〇〇〇台に達し、とくに石神地区は宇都宮、烏山線と真岡・高根沢線との合流点になり、激しい交通ラッシュにより事故多発の場になった。ここで建設省は宇都宮平出町から石神までの五・一キロを「北宇都宮拡幅工事として四車線化を計画、昭和五七年から事業に着手した。鬼怒川橋は昭和六二年一二月から工事にはいり平成元年五月一六日に開通式が行われた。この橋の開通で、石神交差点は県内でも有数の大規模な立体交差となり、町はじめ県北東部の産業、経済の発展に貢献するところが大きかった。
 次に烏山線の動きを見てみよう。昭和五八年(一九八三)一〇月、北海道の白糠線が国鉄ローカル線廃止の第一号となってから、多くのローカル線が廃止の運命をたどるなか、烏山線にもその危機が迫った。その頃国鉄烏山線に「夢の999」(スリーナイン)が走った。昭和五四年七月二二日、二三日に上野駅を発車した行き先をしらされずミステリーとも思える企画であった。松本零士の人気アニメ「銀河鉄道999」にちなみ国鉄が企画したもので列車は九輌、乗客九九九名、しかも行先の「アンドロメダ駅」がどこか知らされていないというもの、この列車は烏山線にお目見得し、烏山駅が終着駅であった。夢を売る路線が烏山線であった。国鉄では民営分割を控え六一年一一月一日より宝積寺駅に新特急「なすの二号」が朝八時一六分発が停車するようになった。烏山線は当時大部分が宝積寺折返しとなり本数は一二往復から一八往復と大増発を行った。車輛の色もアイボリーホワイトにグリーンのアクセントの入ったデザインに変った。烏山線はいま改めて電化をめざして新しい動きをはじめている。

図13 宝積寺バイパス開通式(昭和58年)


図14 交通安全を願っての交通関所(石末)


図15 鬼怒川にかかる交通動脈


図16 「夢の999」(下野花岡駅)