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歴史

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 高根沢町の民俗を形成するのは近世以後の歴史である。近世高根沢の地域は、二一か村から構成されていた。近世前期では、村々の大部分は宇都宮藩領に属し、近世を通じて宇都宮藩領となったことがないのは、文挟村と伏久村の二ヶ村だけであった。しかし、幕末には宇都宮藩領は少なくなり、代って一橋領や喜連川領、佐倉藩領、福原子之吉知行所、本多駒之助知行所、伊沢刀之助知行所、あるいは天領などに組みされ支配体制は複雑化した。村々の規模は、大きい所で上高根沢の場合、寛延二年(一七四九)には二三七軒、一二五一人であり、小さい所で土室村(後に飯室村と改名)の天保年間家数が一一軒であり、半数近くは五〇軒以下の小規模な村であった。
 村の運営は庄屋、組頭、総代の村方三役を中心に、大事なことは頭百姓を加えて決めていた。村の生活は原則的に村人にまかされ、自治的に運営された。また村の中には五人組が組織化された。五人組は、地域ごとに五戸前後の家を組み合わせて、その組々に年貢納入や治安維持の連帯責任を負わせた制度である。こうした村の諸制度は、明治時代になっても村落共同体のあり方に影響を与え、その影響が衰退していくのは戦後のことである。
 明治二二年の町村制施行により、塩谷郡北高根沢村、熟田村、阿久津村が成立する。町村制施行後、江戸時代の村は大字となったが、「従来の共同体的な生活習慣が強く、それぞれ独自性を持ち旧来以来の村秩序を維持しようとしていた。」(通史編Ⅱ近現代 一五〇頁)とあるように、大字は新しい村とは異なった村落共同体としてのムラを形作り、人々の生活の中で重要な役割を果たしてきた。そしてそのことは今日まで続いている。
 昭和二八年、阿久津村に町制が施行され、翌二九年には熟田村の伏久・飯室・文挟が北高根沢村に編入され、三三年には北高根沢村と阿久津町が合併し高根沢町が誕生する。その後、昭和三四年には上阿久津が氏家に一部編入、三五年には芳賀町より鷺ノ谷を編入、四九年芳賀町給部の一部を編入、同五二年には氏家町柿木沢の一部を編入し、現町域となった。
 ところで、明治から昭和戦前期の高根沢町域の社会的特色は、栃木県内でも有数の大地主地帯であり、それは同時に地主と小作との複雑な関係を生み出した。大正一三年の調査(史料編Ⅲ近現代 八三五頁)によれば、県内に四七名いた五〇町歩以上地主のうち八名が町域に住んでいた。こうした地主は、「江戸時代の名主階層や商人・地主、質地地主だった家が多く、近世ですでに相当規模の土地所有者であったが、このような大地主に成長したのは松方デフレ期の土地買い集めによってであった」(通史編Ⅱ近現代 二六一頁)。これら大地主は多くの小作農家を有したが、例えば太田の加藤家の場合、大正一三年には二八五戸の小作農家を抱えた。
 明治以後、高根沢町の姿を大きく変えたのは、明治三二年東北本線宝積寺駅開設に伴う宝積寺駅前の開発と昭和五〇年代からはじまった宝積寺台地の住宅地造成である。駅前はその後の烏山線の開通、烏山街道沿線という交通至便な所であったことから商店や住宅が増えはじめ、やがて町役場も置かれ高根沢町の中心街を形成している。一方、昭和五〇年代からはじまった宝積寺台地の住宅地造成は、宇都宮のベッドタウンとして従来にはない新しい街が出現した。これらの他、昭和四八年から全町圃場整備事業がはじまり、用水や農道が完備し、一枚の水田面積も大きくなるなど水田を取り巻く環境は一変し、同時に農業の機械化が一段とはかられた。また、宝積寺台地や氏家・仁井田台地には、近代的な工場が進出し工業化が進められている。現在の高根沢町は、豊かな穀倉地帯と新しい街、近代的な工場、伝統文化が織り成す町となった。

図2 食違い棟。江戸時代の名主階層の家に見られる造り(大谷)

表1 幕末期の高根沢の村々と領地
中阿久津村520石803宇都宮藩領
宝積寺村826石553宇都宮藩領
大谷村763石2425宇都宮藩領
石末村799石331宇都宮藩領
上高根沢村1,432石5852一橋領
桑窪村585石012一橋領
下柏崎村227石6674
内、45石4773佐倉藩領
182石1901福原子之吉知行所
文挟村177石2245喜連川領
伏久村242石5385喜連川領
前高谷村560石061
内、36石68314天領
523石37786本多駒之助知行所
西高谷村154石0475本多駒之助知行所
平田村699石372本多駒之助知行所
亀梨村243石469本多駒之助知行所
上柏崎村208石5885本多駒之助知行所
中柏崎村169石963伊沢刀之助知行所
飯室村292石403天領
栗ヶ島村605石032天領
寺渡戸村218石04天領
関俣村639石9048天領
太田村462石736天領

注 赤堀新田の分は、石末村の内に含まれている。(資料編Ⅱ近世 128頁より)
 
表2 数字で見る高根沢町
面積70.9平方キロメートル栃木県順位29
人口30,206人(平成14年)16(男15,467人女14,739人)
人口密度426人/km2(平成14年)19(栃木県平均313人/km2)
一人当たり所得3,271千円(平成11年)9(栃木県平均3,172千円)
農家1戸当たり
経営耕地面積
2,07ha(平成12年)6(栃木県平均1,44ha)
産業別就業人口(平成12年)
第1次産業1,776人(11.20%)
第2次産業5,551人(35.02%)
第3次産業8,526人(53.78%)
農家戸数(平成12年)
自給的農業201戸
専業農家179戸
兼業農家1,481戸
経営耕地(平成12年)
樹園地48ha
農地3,852ha(田3,600ha畑204ha)
規模別農家戸数
1ha未満614戸
1ha~5ha未満1,114戸
5ha以上131戸