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農具の準備と田の手入れ

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 田うないの時に使う馬にも馬耕などを牽くための引き綱を準備しなければならない。これは一般に正月休の仕事であった。戦前は馬が多かったが、昭和二〇年前後は馬が徴発され戦地へ送られたため、俗に言う赤牛が導入された。牛はおとなしいため男手のいない当時、女性や子どもが作業するのにも適していた。
 馬や牛に使う引き綱は太いものが要求され、六本のコテナワを三本に撚り、さらに三本の縄を一本に撚り合わせる。この引き綱のことをハヨ縄・ハヨ綱と呼んだ。
 なお、馬の餌は一日に三回与え、うどんの湯でフスマ(小麦を粉にする時にできる皮のくず)を練って与えることもあった。子馬は福島からバクロウが買って来て、バクロウの下に世話バクロウが二~三人おり、ある程度大きくなるまで世話をしたという。
 二月の声が聞かれ始めると、農家の人たちもそろそろ田の準備に取り掛かる。二月から三月にかけて土手の手入れや田の窪んだところに土を入れて準備した。