田の耕起作業である田うないは、一般にバコウ(馬耕)といわれる犂を牽かせて耕したものである。馬耕の操作は、主人が馬耕の舵棒を持って、子どもや女性が馬の鼻先に付けた竹の棒でハナドリを担当した。廻り方は時計の逆回りで外側から内側へとうなって行くが、田の形によっては基本通り耕すことができなかった。ハナドリは田の隅のところでは、馬をなるべく奥へ押して歩かせるようにすることで、馬耕が隅まで寄って耕すことができ、これがハナドリの腕の見せどころであった。とは言っても、馬耕では田の隅まではどうしてもうなうことができず、ミミギリとかミギリ・ワキギリといって備中鍬や三本鍬で耕し残した部分を人力で耕すほかはなかった。昭和一〇年代には農業指導員らの指導により、一人うないの馬耕が普及した。一人うないができない者は一人前ではないといった風潮があった。
なお、馬耕は「日の本式」「高北式」が主に使われ、氏家や宝積寺・仁井田の農機具屋から購入したが、刃先は鍛冶屋でサキガケして直す人もいた。また両用(双用)犂は昭和一〇年後半に使われ出し、犂先と撥土盤を左右両方に変えることができたが、あまり普及されなかったという。
耕起の仕方としては、今までの在来の馬耕は、田の周囲から中心に向って渦巻き型にうなうやり方であったが、双用犂の場合は、直線的に行き返りしてうなう仕方である。このため、方向を転換する場所が必要となり、この場所は後でまたうなうことになる。これをマクラウナイ(枕うない)といった。