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稲刈り

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 いよいよ九月に入ると稲穂も垂れ、稲刈りの時期を迎える。この時期、早稲・中稲・晩稲のそれぞれ最初に実った稲穂を区長宅へ持って行くと、その日がコト日として休みとなった。これをイナホサマ(稲穂様)といい、若者たちが率先して行ったものである。
 稲刈りは、早稲で九月上旬、中稲で一〇月中旬、そして晩稲で一〇月下旬に刈り取る。このときも近所の人ではあるがヒリョウドリを頼み稲刈りとなる。稲刈りは三株~五株をつかみ、ノコギリガマ(鋸鎌)で前に進みながら刈って横に倒して行き、そのまま田に広げて行く。一時、手押稲刈機や手引稲刈機も登場したが、あまり利用されなかった。
 晴れの日が続く時は、二~三日で稲を束ねる。これをマルクといった。雨が続く場合や刈り立ての時には、大束(小束六束)を三つ並べて、上の穂の部分を縛り、それを基準として両方から大束を三つずつ並べて行く。最後に屋根代わりに縛っていない稲藁を両方から穂の先が重なるように並べる。南北方向に並べて行くのが一般的で、これだと太陽の光を受け、通風が良いとされた。幅は一メートル程度であるが、長さは田んぼに植えた稲の量により相当長くなる時もあり、これが二列・三列になることもあった。その形からムカデタテの名で呼ばれた。
 また、稲を大束に束ね、これをドウゾクマルキと言い、通風を考えながら積んで行く。穂の先が丸く穴が空くように積み空気の流れを良くした。積み終ったものをノウボッチといった。なお、昭和二五、六年頃から動力脱穀機の普及により扱きやすいように小さな束に稲を縛るようになった。また、稲を自然乾燥させるためにガボシ(架干し)をするところもあった。これをオタカケともいい、棒を組んでそこに稲束を逆さに架けた。これで、一~二か月自然乾燥させた。
 稲刈りが終わると、ブラクで借り上げ祝いの日が決められ祝った。だいたい一〇月下旬の頃であった。一方、家々でも刈上げボタモチを作って手伝ってくれた家に配ったり、神棚に供えた。

図32 稲刈り


図33 ドウゾクマルキ


図34 ガボシ