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シロづくり

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 三月に入るとたばこの苗を仕立てるための、床づくりが始まる。床のことをシロ(代)といい、代は二つ作られた。はじめに、種子を発芽させ苗にするためのブドコあるいはボドコ(母床)といわれる代で、つぎに、未成の苗を育成させるためのコドコ(子床)と呼ばれる仮植床である。ともに、日の良く当たる家の前の庭に作られた。なお、戦前までは一つの代で苗を育てたところが多かったという。たばこは、苗半作といわれるように苗の良し悪しが作柄に大きく影響し、苗を抜いた時に根に付く土である抱土が多いほど良いとされた。良い葉たばこを作るには、しっかりとした根を作ることでもあった。
 
①母床づくり
 母床の大きさは、地域によって大きさが異なり、下柏崎あたりでは間口六尺で奥行が四尺、高さが二尺程度の枠を作るが、亀梨では三坪ほどの代を四つ作り、それぞれの代の大きさは間口三間・奥行六尺・高さ一尺五寸程であった。まず、杉の丸太と真竹・藁を用意し、杉丸太の杭を三尺ごとに打ち、その高さは一尺五寸~二尺ほどである。打った杭に真竹を上・中・下に三本横に渡して付ける。ちょうど長方形の囲いのようになる。つぎに、横に縛った竹に外から内に向かって編み込むように藁を巻きつけ、周りを覆う。こうして、床の周りが出来上がる。この中に、堆肥となる木の葉を山盛りに入れる。十分に水をかけてから、二人が代の両側に立ち、竹の棒で木の葉をかき回しながら、足で踏んで木の葉を固めて行く。また、棒を使わず足だけで固めて行くところもあった。さらにジョウロで水を入れ、つぎにヌカ(糠)を振り撒いてから三~四人でさらに足で踏み固め、前年使用した粉末状になった堆肥を五センチメートルほど敷き詰めて行く。母床は一坪で四反歩ほどの苗が仕立てられたという。この作業は、年寄り夫婦と若夫婦といった単位で一家四人程度で行なわれた。しかし、葉たばこの面積の大きい家では、近所の人を頼んでヨイドリで行われ、一般的には一日程度で終わる作業であったが、面積が大きいところでは二~三日ほどかかった。
 たばこの種子は、半紙に種子を落としても判らないほど大変小さいものである。このため種子を代に蒔く時は、手で蒔く家もあったが、ジョウロの中に水と種子を入れ、攪拌しながら蒔くミズマキ(水蒔き)の方法が取られた。また、円筒のブリキで作られた播種器に、細かくした堆肥とたばこの種子を混ぜたものを入れて、播種器を転がしながら蒔いたところもあった。蒔いた後はすぐった藁を敷き、代に竹を渡して菰か寒冷紗で代を覆った。さらに、代の周りに人間が歩けるだけの間を空けて、防風用・保温用のワラガコイ(藁囲い)を作ったところもあった。この囲いも杭を打ち横に竹を通して、藁で編むようにして覆い、人の背の高さ程度まで囲いを作ったという。母床の温度は三〇℃を適温とし、温度が上がりすぎると苗が細く伸び過ぎたり、溶けてしまうことがあった。逆に温度が低いと生育が悪かった。このため、筵を掛けたり外してりして温度調節をしたほか、温度が上がったときには、周りの藁囲いの藁を取り除くこともあった。
 葉が四枚程度出たところで、育ちのよい苗を残して間引きを行なう。また、種子を手蒔きした家では、苗が密集して伸びたところがあり、苗をいったん抜いて並べ替えて植え直した。
 
②子床づくり
 間引き後の苗は、葉が親指の爪ほどの大きさになり、そして苗の高さが二センチメートルほどになると、いよいよ子床へ移し換えられる。それから、一ヵ月後畑へ移植されるのである。
 子床は、四月上旬に作られ、代の大きさは下柏崎では、母床よりやや大きい間口九尺・奥行六尺・高さ二尺で、この大きさで四反歩程度の作付けができるという。亀梨では母床と同じ大きさであった。作り方は母床と同じで、ただ堆肥の高さは一尺五寸とし、二〇~二五℃に保たれるように注意した。
 子床への移植は、母床から手で苗を摘まむようにして丁寧に取り、箱などに入れて運び、三~四センチメートルの間隔で植え付けた。亀梨では、植え付けるための穴を、先に種子を蒔く時に使った播種器に灰を入れて転がしながら印をつけた。また、長さ一尺ほどの板に、長さ八センチメートル・太さ二センチメートルほどの先の尖った棒を三~四センチメートル間隔に打ち付けたウエツケボウ(植付け棒)を、両側から二人で持ちながら穴を開けるところもあった。穴の数は三坪ほどの子床の中に一列三六の穴を開け、それを一〇八列作り、約三八〇〇の穴を開けた。
 苗を母床から子床へ植え替えるに当たっては、子床の代の中へ入るとき、両側にハシゴを渡してその上に乗り植えて行った。移植後、二〇~二五日が経つと、ホンポ(本圃)へ植える時期を迎える。

図42 ニワにつくられたシロ(左側)(大谷 阿久津次大氏提供)


図43 子床づくり(亀梨 古口光男氏提供、昭和30年)