炭を作るには、一般的に山林地主である山持ちが元締めとなる。そして、樹木を伐採して炭材や薪を切る専門の人がいた。この人たちは、キリブといわれる切る手間を稼ぐ人たちである。一方、ヤキブといわれる炭焼きの手間を稼ぐヤキコがいた。そして、元締めが炭俵の手配をし、仲買人に売り渡すのである。特に亀梨の鈴木家では、多くのヤキコを抱え大量の炭を生産していた。また、炭焼きをする人が、木を切る人を頼んだり、自分で木を切ることもあった。
炭材としては、一番良いのがクヌギ(椚)で、つぎにナラ(楢)が良く、三番目に雑と呼ばれるサクラ(桜)・ソネ・クリ(栗)などの順に、売値も違っていた。昭和三〇年頃は、樹齢一五年程度で炭材にしたが、現在ではシイタケの原木としても使うため、二五年程度まで育てて切るようになった。なお、台新田のある農家では、雑木に堆肥を与えて成長を促し、七年目に原木として切り出したという。切り出された炭材は、水の吸い上げの少ない冬季に切ったもので、切ってから一か月程度寝かせた。生木でも乾燥しすぎた木でも良くないという。また、山の南側に生えている木が炭材としては良く、芯が大きくないものが良い炭になる。
切る時期は、一応一一月から八十八夜までとされ、実際には冬の間行なわれた。八十八夜の頃になると新芽が出るので、これを折ったりしないためである。それ以後は新芽を折ったり、踏み荒らさないよう、山へは入らなかった。道具としては、株立ちの雑木を切るのに都合のよいネガイシノコ(根返し鋸)やユミハリノコ(弓張り鋸)が使われた。長さ一尺七寸に切った木は、その場で高さ三尺・幅六尺に積まれる。これを一間(一棚ともいう)といい、四間を一坪といった。一日に一間切るのが普通で、二間切れる人は相当腕がよいとされた。まず木を切る前に火を焚いて、ナタやノコギリをあぶった。これは、寒い時には歯の先の鋼が欠けることがあり、これを防ぐためであったという。また、ノコギリは切っているうちに切れ味が悪くなるため、ヤスリで歯を目立てしながら作業した。なお、太くて割った割炭より割らない丸炭の方が良い炭と言われ、以前は炭の長さは一尺七寸と短かったが、後に二尺五寸の長さになった。これは、長くないと炭窯の温度が上がらず、良い炭ができないといわれる。また、伐採した木は切った場所から窯まで背負バシゴで運んだ。背負バシゴは、足の長いものを使用し、背の部分にザグ又の枝を左右に付け、そこに切った木を乗せた。乗せるときには、背負バシゴを立てたまま二股のツッカエ棒で押さえておいて木を載せた。背負バシゴが立っているため、簡単に担ぐことができ、ツッカエ棒は杖の代わりにもなった。また、背負バシゴの足が長いため、途中休む時には足を地面につけて休んだ。
なお、窯を築くとそこに井戸を掘ったもので、台新田の山裾は一メートル程度で水が出たという。炭焼きは熱を浴びる作業のため、水分補給は欠かせないもので、一日に五回は湯をわかしお茶を飲んだとという。