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収穫・梱包・出荷

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 収穫は、早生梨・中生梨・晩生梨の順に行なわれる。早生の収穫はお盆が終わった八月二〇日頃から行なわれ、秋の彼岸の頃が最盛期となる。中生は九月五日~二五日頃まで、晩生は九月下旬~一〇月下旬まで続く。梨の収穫は実の色で判断する。袋を破いて中の実の色を見て収穫し、もぎった梨はそのまま納屋か母屋に運び、そこで芯切鋏で芯を切った。集荷場で検査を受け、秀・優・良・並に分けられた。悪いものが入っていると一級下げられたといわれる。その後市場のセリにかけられた。現在の等級は、大きさ・病害を基準に、秀・優・○に分けられる。
 昭和四〇年頃までカゴに詰めて出荷された。カゴは始め船底型のヨコッカゴといわれる五貫目カゴに麦藁を敷き、その上に桃色の紙を敷いて三~四段くらい重ねて詰め、下の桃色の紙を折り返して包んだ。敷いた藁は上の部分で切り落とし、さらに上に麦藁をかけ、縄で縦に縛り、最後に長いほうの横を縛った。また、タテッカゴと呼ばれる四貫目カゴは、麦藁を敷いた後、ヨウコウ剤の空き瓶で麦藁をカゴの形に折って形を整え、その上に紙を敷いた。梨を四段くらいに詰め、その上にボッチ(サンダワラ)を蓋にして、放射状に縄で縛った。なお、梨はナリ茎を下にして尻を上にして詰める。四貫目カゴの方が、上が平らなため積み重ねができ、たくさんの量を出荷できたという。梨を入れるカゴは市貝町へ何百個と注文するため、間に合わないこともあり、縁の部分を竹で巻かず針金で巻くこともあった。
 運送する時は、宇都宮の市場までトラックを頼んで運んだ。その際、等級により色違いの札を付けた。市場でのセリの時には、生産者がクチッキリといって、カゴの上半分を開いて見せた。最盛期の昭和三〇年頃の五、六年間は、組合でトラックを仕立てて、東京・横浜の市場まで運んだ。
 現在では生産者が組合の選果場まで運び、高根沢梨組合として「栃木梨」の名で出荷されている。

図57 梨の出来具合を見る(中柏崎 小林家)