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機織り

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 江戸時代の高根沢町域の村明細帳をみると、女性は木綿織りをしていたことが記されている。機織りにはジバタと呼ばれる原始的な機織り機と高機と呼ばれるものがあった。中阿久津や石末では、昭和三〇年頃まで年寄りが機織りをしていた姿が見られたという。
 終戦後の生活物資が手に入らない頃、自給のためにと綿を栽培した。綿は糸を紡ぎ、布に織り上げ、家族の衣類を作ったという。綿だけを売る人もいて、おばあさんやおじいさんたちの小遣い稼ぎになったという。
 蚕を飼った家もあるが、これは繭を出荷するためであり、くず繭や真綿を利用して家族の紬を織り、よそゆきの着物にした。高根沢町では木綿ばたとともに絹ばた(絹機)で紬の平織りをする家も多かったようである。
 こうして織った布地は染物屋に依頼して染めてもらったが、矢板市片岡からやってきた染物屋に頼んで染めてもらうこともあった。

図9 高機(茨城県真壁町歴史民俗資料館蔵)


図10 木綿を織る(茨城県真壁町歴史民俗資料館提供)