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〔履き物〕

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 ふだん家のまわりでの農作業には、稲藁で編んだ藁ゾウリをはいたり、長持ちさせるために底にゴムをつけたアサウラ(麻裏)というぞうりを履いた。田んぼへ行く時はアシナカ(足半)という、足の土踏まずの部分までの長さの短い藁ゾウリを履く人もいた。田んぼでの仕事は男女とも裸足だった。昭和の初め頃より地下足袋が出回っていたが、昭和三〇年代では畑や山仕事にいくときに履くくらいだった。
 普段足袋を履くことは余りなく、寒くなってからで、白足袋は余所行き用に、普段はキヌテンというコール天の色足袋で、男は黒、女は赤が多かった。また、日和下駄か駒下駄を履いたが、桐の下駄は余所行きの履き物であった。畳表のついた畳下駄もあったが、それは花嫁が履く上等なものだった。台新田では男の人は八寸歯の高下駄を履いていた人もいた。
 戦争中から戦後まもなく、婦人会で足袋つくりの講習会をしたこともあり、コハゼが近くの店で売っていたので、自分で作る人もいた。毎日履くために足袋のかかとやつま先が破けて、繕いは農閑期の針仕事の一つだった。