戦前は多くの家で納豆を作った。納豆作りは秋から春にかけて行なわれ、特に暮れの一二月二五日や二七日頃に行なった。二五日に仕込むものをセチナットウ、二七日のものをシチニチナットウ(七日納豆)などといった。納豆を作ることをナットウネセ(納豆寝せ)といった。大豆を大量に煮ることから、味噌作りと一緒に行なう家もあった。まず、材料の大豆を大きな釜で柔らかくなるまで煮る。長さ六〇センチメートル程の大きな藁のツトッコを作り、五合の大豆を二、三本の藁とともに入れる。大豆を入れた藁ツトは、雨屋などのナットウバ(納豆場)で、湯をかけたコモやムシロを被せ、醗酵させた。二、三日寝かせると納豆になり食べることができた。大豆の醗酵を促すための保温方法は家それぞれで、湯たんぽを入れたり、地面に穴を掘り叺に入れて埋けたり、地面の穴に熱い湯を注ぎ入れ充分温めてから藁を敷いた中に入れたり、木の葉をたくさん被せたりした。
納豆の食べ方は、塩で味付けたり、納豆に大根の千切りを混ぜたりした。正月には餅にからんで納豆餅にした。また、納豆に塩をからんで天日に干し、ホシナットウ(干し納豆)を作った。干し納豆はご飯にかけたり、弁当のおかずにしたり、お茶請けにした。