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正月の餅

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 正月の餅には、餅をつく日にも、禁忌が見られ、現在でも二九日と三一日には餅つきはしないものとされている。九が苦に通じることから、「クモチはつくな」といい、大晦日三一日につく餅は「イチヤモチ(一夜餅)」といい嫌われた。正月の餅つきは一二月二八日か三〇日が多かったようである。
 正月の餅には、お供えの丸い白餅のほか、雑煮や焼き餅にして食べる角型の伸し餅、大豆をつき込んだ豆餅などがある。豆餅は、もち米を蒸すときに洗った生の大豆を入れて一緒に蒸す。大豆が入っているので、火の通りが悪く、セイロ一段で時間をかけて蒸す。もち米と大豆の割合は、もち米四升に大豆二合ほどであるという。蒸し上がったもち米に青のり、白ゴマ、塩を適当に入れ一緒につくが、豆の形が残る位で止める。つきあがったら適当な大きさに分け、なまこ形に伸しまとめ、切りやすいように一晩置いてから一センチメートルほどの厚さに切る。現在は落花生の豆餅を作る家もある。下柏崎の農家では、最初は臼を洗うということで、伸し餅を一臼つき、次にお供え餅をついた。その後は伸し餅で最後に豆餅を二臼ついたという。
 餅つきには、柔らかいつきたての餅を、醤油をつけたり黄な粉をまぶしてあべかわにしたり、あんころ餅や納豆餅、大根おろしで食べるからみ餅などにしてその場でいただくという楽しみもあった。お供え餅は丸く形作り、二段重ねで上にダイダイやミカンをのせた。大谷の農家では、供え餅は三臼目につき、家の中の神仏に供える餅を一番先に作り、その後に屋外の神仏に供える餅をついた。こうして作ったお供え餅は、元日、床の間に三段重ねの一番大きなものを供え、大神宮様、歳神様、床の間、恵比須様、お釜様、仏壇、それに家のまわりの氏神様、太子様、お稲荷様、井戸神様、川神様にはひとまわり小さなお供え餅を供えたという。桑窪の農家では、お供え餅の下段が五寸ほどのものと三寸ほどのものとの二種類作り、五寸ほどのものは大神宮様に、仏壇や恵比須様、大黒様、お釜様、蒼前様には三寸ほどの餅を供えた。お供えは「一四日の風に当てるな」といわれ、一三日までに下ろし、水餅にして二十日正月の汁粉に入れたり、細かく砕いてよく干し、油で揚げてかき餅にして食べた。
 餅を保存する場合、亀梨の農家では、暮れについた餅は、桶の中に平らに重ねて紙で蓋をし、さらに蒲団を被せて凍らないように座敷に置いておいたという。
 餅つきに使用するカマドは据付けのかまどではなく、仮設可動式のものである。臼は、欅の木で作ったものが多い。臼の下には藁を敷いた。

図21 伸し餅作り(大谷)


図22 供え餅作り(大谷)


図23 正月の供え餅(寺渡戸)


図24 臼と杵(大谷)