米粉の餅とは、うるち米の粉に湯を加えて練り上げてからゆで、それを臼でついたものと練った米粉を蒸したものがある。三月節句の菱餅、五月節句の柏餅などが米粉の餅である。
三月節句の菱餅は、草餅、白餅、うす赤餅の三色があり、それらを菱形に切り重ねて供えたものである。白餅は蒸したもち米をついて作る。草餅は米粉を湯でこね、少しずつちぎったものをセイロで蒸かし、これに茹でてすり鉢ですりつぶしておいた餅草(ヨモギ)を混ぜてついたものである。うす赤餅は白餅に赤のイロッコ(色粉)で色を付けたものである。餅はひらたく伸して菱形に切った。菱餅は焼いてあんこや黄な粉を付けて食べた。女児の初節句を迎える家では、近所や親戚に菱餅を配り、嫁は餅を土産に里帰りをした。
五月節句の柏餅は、柏の葉に包んだものであり、柏饅頭ともいった。米粉は少量のときは自家の石臼で製粉するが、多いときは洗って陰干ししたうるち米を近所のクルマ屋に持って行き製粉した。柏餅を多く作る家では米にして四升から五升も作り、嫁の実家や町の親戚にジュウバチ(重鉢・重箱のこと)に入れて持って行った。たくさん作ったときは、笊に入れて井戸に下げておくと三日は保存できたといい、固くなった餅は蒸かし直して食べた。
作り方は、米粉を熱湯をくわえながらこね、これをひと握りの大きさにちぎってから丸め、さらに手の平で円形にひらたくつぶす。これを皮とし、中にあんこを入れ、半月状につつむ。この上からさらに柏の葉でつつんでからセイロで蒸す。この餅の皮を円形にひらたく伸すのには技術を要するところから、亀梨の農家では、柏餅の皮を作る器械を用いた。また、下柏崎の農家では、大量に作るときには、男衆が竹の皮の上に丸めた餅をおき一升マスの底で伸して皮を作り、そこに女衆があんこをはさんでいったという。
柏の葉は山でも採れるが、屋敷にも植えておいた。葉をつむのは旧四月頃がよく、早すぎても柔らかく、遅いと虫が付いてしまう。つんだ葉はきれいに洗ってセイロで蒸かし、糸を通して家の中に吊るして乾燥させて保管しておき、餅を作るときに洗って蒸かし直してから用いた。
作った柏餅は大神宮様や仏様に供え、また男児の初節句のときには、柏饅頭を重箱に入れて、嫁の実家や、お祝いをもらった家に配ったものである。