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田植え

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 田植えの日の食事は、朝飯、昼飯、夕飯と午前一〇時頃と午後三時頃のコジハンで、労働力への感謝も込めて日頃は食べないようなごちそうを振舞った。朝飯は白米飯、ワカメや大根、菜っ葉などの味噌汁、ハゼや昆布の佃煮、たくわんなど、昼飯は白米飯、煮豆、魚、味噌汁、夕飯は赤飯、白米、けんちん汁、煮豆、きんぴらゴボウ、切干大根の煮物、煮魚、刺身、野菜・さつま揚げ・ちくわなどの煮しめや酒を振舞った。煮魚は、ナマリやモロの醤油味の煮付けやサバの味噌煮のほか、「田植えニシン」といい、身欠きニシンを水で戻して砂糖醤油で煮たものを用意した。豆も田植えにはつきものとされ、うずら豆や大豆や黒豆を甘く煮たものを振舞ったという。午前一〇時頃と午後三時頃のコジハンには赤飯のお握りや煮しめ、たくわん、里芋やジャガイモをつでたものなどを食べた。特に苗開きの日には、赤飯を炊いて振舞った。
 材料の買出しや下ごしらえなど料理の準備は前日までにしておいた。嫁は田植えの労働をしながら振る舞いの準備もしなければならず大変だったという。専門の料理人を頼んだという家もいた。
 田植え終了の祝いには、植え上げ餅やサナブリ餅と称し餅をつき、田植えを手伝ってくれた家に配った。中阿久津の裕福な農家では、サナブリ餅を、手伝ってくれた家に一、二個くらいずつと、絣の反物などを配った。餅は大きいほどよいといった。太田では、田植えが終わるとすぐ餅をつき、あんこをからめ、仕事をしてくれた人に振舞った。また、集落全体の田植え終了を見計らい、区長がサナブリの日を決め、皆で餅をつき、骨休めをしたという。