作り方は、大豆は一晩水に浸し、四斗釜や二斗釜などの大釜で、柔らかくなるまでよく煮る。親指と小指でつまんで簡単につぶれるのが目安で、早くて半日かかる。一晩火を止めて翌日また煮ることもあったという。充分煮た大豆はよくつきつぶした。臼と杵でついたり、ハンギリ桶や味噌つきタライに入れてこん棒でつぶしたりした。そこに麹と塩を入れ、よく混ぜて味噌桶に移し、大豆の煮汁を加えトロミをつけた。一般的に麹と塩の分量は、大豆一升に麹一升、塩八合だといわれたが、塩が少ないと蛆がわくので塩加減には注意したという。味噌の表面には埃の混入やカビの発生を防ぐために、晒しの布や紙、古い味噌、板昆布などを被せ、最後に木蓋やコモで蓋をし、味噌部屋で寝かせた。蓋の上に小さ目の石をのせることもあった。
仕込んだ味噌は夏を越すと醗酵が始まり、夏を過ぎれば食べられるようにはなるが、「味噌は寝かせれば寝かせるほどうまくなる」といわれ、若い味噌は「豆臭い」といって嫌われた。最低でも一年は寝かせ、多くは二年味噌や三年味噌を食した。
できた味噌は樽のまま味噌部屋に置かれ、使う分を味噌甕に小出しにして食べた。表面の味噌はフタミソ(蓋味噌)といい、食べ始めるときに捨てるか、小さい桶に移し、大根や人参を漬け込むと、よい味噌漬けができた。蓋として使われた板昆布も味噌漬けとして食べた。
材料の麹は、購入する場合と、麹の種となる麹菌を買ってきて自家で作る場合があった。亀梨あたりでは、喜連川の麹屋が自転車で行商に来たのを買い、下柏崎では、南那須町曲畑の麹屋を利用したという。麹は、屑米や大麦を蒸かしたものに麹菌をよく混ぜ、桶に入れ、そのまま二、三晩寝かせて作った。全体に熱を帯び、白い毛が生えてくるので、それをできあがりの目安にしたという。なお米麹で作ったものよりも大麦の麹で作った味噌のほうが美味しかったという。
味噌を入れるタル(樽)は、シトダル(四斗樽)が多い。味噌樽は、竹のタガで、普通のものよりしっかりしたものを桶屋に作ってもらったという。
図32 味噌部屋(太田)