釜は主に飯炊きに用いられた。飯炊きは朝夕一回ずつであったが、朝は昼の分まで釜で多めに炊いた。八人家族で二升の飯を炊いたという。飯炊きは嫁の仕事だった。朝は忙しいので米は前夜のうちに研いでおくこともあった。米は米研ぎ桶でよく研ぎ、米上げ笊に上げておいた。炊く前に釜に移し、麦と水を入れた。水加減は手の平をついたときに手首のくるぶしくらいを目安とした。クドで飯炊きを始めたら、途中で蓋をとっては、おいしく炊き上がらないので、「子供が泣いても蓋取んな」といった。朝炊いた飯は、オハチに移して藁製のイチッコに入れ、保温した。夜の飯はイロリに鍋をかけて炊いた。鍋はイロリで味噌汁、煮物を作るのにも使った。汚れのひどい鍋や釜は、イロリの木灰を研磨剤がわりに使い、稲藁を束ねて作ったたわしで磨いた。普段使用しないものは納屋においておいた。釜は味噌炊き用の大釜や、二升炊き、三升炊き、四升炊きなど数種類の大きさのものを持っていた。昭和三〇年代になると電気釜で飯を炊くようになった。
図39 鍋と釜(町歴史民俗資料館蔵)