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〔農家の住い〕

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 明治・大正期頃までの高根沢町は、氏家町の氏家や芳賀町の祖母井のように、商家が街路に面して並び町場を形成するような、いわゆる町の中心・核となる所が明瞭でなかった。今でこそ宝積寺は、商家が密集し、仁井田では街路に面して並び、それぞれ町場を形成して高根沢町の中心、あるいは仁井田近辺の中心地として機能しているが、宝積寺の町が形成されたのは東北本線宝積寺駅が、仁井田の町の場合は烏山線仁井田駅がそれぞれ開業してからであり、高根沢町域の歴史からみればごく新しい。そうしたことから宝積寺や仁井田には、瓦葺土蔵造り・街路に面した部分を前面開放し格子戸やあげ大戸を設ける・店先が鉤型の畳敷きと奥に続く土間とからなるといった伝統的な商家の造りは皆無である。一方、宝積寺、仁井田以外の農村部に目を転じると、そこにはまだまだ百年以上も前に建てられたと思われる農家がある。こうした農家は、そのほとんどが勝手場を中心に改造の手が加えられているが、建設当時の姿を復元したり、古い形の部屋の使い方を聞き取ることができる。
 そこで、ここでは農家を中心に高根沢町の住いについて述べることにする。なお、こうした庶民の家を一般には「民家」と呼んでいる。