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間取型

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 日本の民家は、一方が土間造りで一方が高床造り、いわゆる半高床式造りが一般的である。この高床部分の部屋割りを間取りという。この間取り型は、一間取り型から二間取り型、三間取り型、四間取り型と部屋数を増やし細分化された。栃木県の場合、一八世紀後半頃まではイロリを構える広間と座敷、それに納戸からなる三間取り型が支配的であったようである。それが広間と納戸、座敷二間、ないしは広間と茶の間、納戸、座敷の四間取り型が支配的になるのは十八世紀末頃から一九世紀前半頃のことといわれている。ちなみに、享保一二年(一七二七)に書かれた宇都宮市鶴田の「村中家絵図」によれば、一般農家の間では三間取り型が支配的である。なお、現存民家では茂木町林より牧野に移築保存されている国指定重要文化財である羽石家住宅が三間取り型としてしられているが、これは一八世紀後半の姿に復元されたものである。
 高根沢町の場合、今回の町史編さん事業に伴う調査では、三間取り型の民家は確認することができなかった。つまり、現存する民家は、大半が四間取り型、あるいはその発展型といえる。
 ところで、栃木県内に見られる四間取り型には、イロリを構えたひときわ広い広間と、この部屋を取り巻くように納戸、上・下の座敷の四間からなる広間型四間取りと、ほぼ同じ大きさの広間、イロリを構えた茶の間、座敷、納戸の四間からなる整形四間取りとがある(図50)。なお、整形四間取りは、漢字の「田」の字の形をすることから田の字型間取りともいわれる。広間型四間取りは東北型間取りともいわれ東北地方に典型的に見られる間取り型であり、栃木県内では県北地方に多く見られ、反対に整形四間取りは西南日本型間取りともいわれ西南日本に典型的に見られる間取りといわれ、栃木県内では県南地方に多く見られる。高根沢町を始め栃木県の中央部一帯は、この東北型の広間型四間取りと西南日本型の整形四間取りとが交じり合う所となっている。

図50 間取りの変遷