ニワ(庭)は農家にとってなくてはならない大切な施設であった。穀物の脱穀・乾燥、葉煙草の乾燥などは、もっぱら庭で行い、また、コエヅカ(肥塚)や苗代、さつま芋や葉煙草の苗床なども庭の一画に設けた。
大正期頃から戦後しばらくの間、稲の脱穀は足踏み脱穀機を用いて行ったもので、これをタンボに運んで行うことが多かった。しかし、脱穀しきれず穂先に籾が残ったもの(これもツタラという)は、カマスに入れ家に持ち帰りクルリ棒で叩き落したものであり、これをツタラ打ちといった。ツタラ打ちは、ムシロを敷いた上で行うこともあったが、直接地面の上で行うことも多かった。ムシロを敷いた上に籾を広げて行う籾干しなども小石が入らないように気をつけたものであった。こうしたことから農家では、庭の管理にことのほか注意を払ったものであり、砂利を持ちこまないといったことはもとより、雨上り柔らかくなった地面の上を下駄で入るようならば強く戒められたものである。また、冬になると霜柱がたたないように庭一面にワラシビや木の葉を敷いた。さらには、数年に一度、庭にでこぼこが目立つようになると、山から赤土、あるいは田圃の土、堀に溜まった泥などを庭に敷き、その上からクルリボウで叩いたりして地面を平らにならすニワブシン(庭普請)を行った。なお、庭に敷いたワラシビは、春彼岸頃に取り除き、堆肥の原料とした。