板蔵
文政六年(一八二三)建築。もと茅葺きであったが昭和三五年頃にトタンに葺きかえる。平屋建て、床板張り、屋根裏部屋が付き、北側に味噌部屋を併設。大正一五年生れの主人が幼い頃は、籾俵を保管。なお、戦前は小作米を一〇〇俵くらいおいた。戦後、放置状態となる。
土蔵
もともと土蔵造りで屋根は、大谷石葺きであったが、昭和三〇年代に下部を大谷石積みとし、瓦葺屋根とする。一階は玄米入りの米俵を保管、二階は長持、膳椀、書類などの保管にあてた。入口扉に火災・盗難除けとして「三峰神社」の御札を貼る。簗瀬では三峰講を組織、毎年二名ずつ交替で埼玉県秩父の三峰神社にお参りし御札を受けてくる。土蔵扉のものは、その際に受けて来た物である。
長屋門
長屋門のことを通称ナガヤとい、ナガヤを構える家をモンタチの家という。旧母屋よりも建築年が新しいといわれ、明治期に建てたものと推定されている。もともと茅葺き寄せ棟屋根であり、腰部は板壁造り、上部は土壁造りとなっている。昭和五二年に瓦屋根とする。中央の出入口の東側は農具などの物置となっており、西側は住いとなり隠居部屋などに利用された。
納屋
大正一三年頃に建てたものである。土壁造りで屋根はトタン葺きである。北側に便所を併設する。アマヤと称しているか、堆肥を貯蔵したりするところからコヤシ小屋ともいう。おもに堆肥の貯蔵、脱穀調製、藁仕事、藁の保管、あるいは農作物の一時保管の場として利用した。
木小屋
木小屋は、ソダやモヤなど細木の貯蔵・保管の場として利用。小屋の周囲の軒先には、イロリで使用する薪を積んだものである。