重く、しかもかさのはる建築材は、地元に産する材料を用いるのが一般的であり、屋根材の場合も同じである。高根沢町に関していえば農家の屋根材は、主に茅と小麦藁とであり、その他に稲藁や葦などの草材が用いられる。こうした草材のうち最も長持ちするのは、茅と葦であり、反対に傷み易いのは稲藁である。しかし、農地が広がる鬼怒川低地や五行川低地のような所では、茅を自生させる茅場の確保が困難である。そのために、低地に居住する農家では、宝積寺台地や喜連川丘陵上にある自家の茅場から茅を刈取り、また、茅場を持たない農家では茅場を所有する農家から茅を刈らせてもらい取得した。したがって手っ取り早く取得できる小麦藁を用いる場合が多く、自家で生産される小麦藁を毎年少しずつ母屋の屋根裏などに貯め置き屋根材としたものである。
このように草葺き屋根の材料の取得には、どの農家でも苦労をしたもので、そこで一番傷み易い軒先には茅や葦を用い、他の部分は茅と小麦藁とを混ぜて茸き、傷み易い稲藁は内側に用いるなど工夫を施したものである。上柏崎のK家では、南那須町福岡に三反歩ほどの茅場を所有し、毎年そこから約一〇〇段ずつ茅を刈取る事が出来た。一段は六束、一束は一抱えほどの太さのものである。K家の母屋の建坪は約六〇坪であり、この屋根を一度に全部葺きかえるには、三〇〇段ほどの茅を必要としたという。しかし、三〇〇段の茅を保管する施設がないために、実際には傷んだ所を少しずつ葺きかえた。この場合、一番下には稲藁を用い、その上を小麦藁で葺き、表面部分を茅で葺いたという。
上高根沢のH家では、葦と茅、小麦藁、稲藁とを用いた。葦は自生地を三反歩ほど所有したのでそこから取得し、茅は現御料牧場に茅場を所有した農家から購入、一方小麦藁・稲藁は自給した。
中阿久津のM家では、半分ずつ葺き替えたという。茅が入手困難なので自分の家で取れた小麦藁を用いた。毎年、屋根裏に保存し、屋根裏がいっぱいになれば葺き替えに必要な量となったいう。小麦藁以外の材料では、オシボコ、荒縄があったが、オシボコは母屋の背後に風除けとして植えた篠竹を用い、直径約一尺の束で約一八束必要とした。荒縄は、冬のうちに編んでおいたものである。
屋根葺きは、専門の屋根葺き職人に依頼したもので、彼らをヤネヤ(屋根屋)とかカヤデ(茅手)といった。屋根屋は、福島県南会津地方からの出稼ぎ職人が多く、そうしたことからアイヅノヤネヤともいった。
中阿久津では、地元に屋根屋がいたというが、宇都宮市板戸に住む屋根屋に依頼する家もあった。なお、地元の屋根屋も板戸の屋根屋も、会津からの移住者か会津の屋根屋より技術を習得した、いわゆる会津系の屋根屋である。
板戸の屋根屋は、オヤカタ(親方)を含め五人くらいの集団が自転車でやってきたという。会津も地元もあるいは板戸の屋根屋も彼らは、普段は農業に従事し、副業として屋根葺きに従事していた者で、親方を中心に五人から一〇人くらいの人数か一組となって活動していた。この他に組内や親戚の手伝いを要したものでその人数は、屋根屋の倍くらいの人数であったという。なお、手伝いの者は、屋根には上がらずにもっぱら下で材料の調整や運搬に携わることからジハシリ(地走り)といった。
屋根葺きの時期は、一二月から三月下旬の頃までで、屋根葺きの日数は建坪が六〇坪ほどもある大きな家になると一〇日前後かかった。この間、屋根屋には朝昼晩の食事を振舞い、手伝いにも昼飯と晩飯とを振舞った。なお、晩飯には銚子で一本酒をつけたものである。また、三時のお茶休みには、お茶の他にサツマイモやサトイモなども出した。
草屋根の構造は、合掌状に組んだ扠首、その上に渡した屋中竹が基本となる。扠首は屋根の重みを支える構造材なので太い杉材を用い、屋中竹は真竹を用い、扠首も屋中竹も全て荒縄で結束する。屋根葺きは、屋中竹の上に茅や小麦藁の穂先を上に根本を下にして並べその上からオシボコをあてて押え、オシボコと屋中竹との間に荒縄を通して、茅や小麦藁をしっかり締めつけ結ぶ。これを軒先から順に棟に向って葺きあげる。軒先を葺くことをノキヅケといい、一方、棟をグシといいグシを作ることをグシトリといった。屋根葺きは最初の作業であるノキヅケと最後の作業であるグシトリとが大切な作業であるという。
特にグシは、人目につく所であり、雨漏りをおこし破損しやすい所でもあるので、これを形作ることは屋根屋の最も腕前の見せ所ともなったともいう。グシは茅の束をグシに沿って並べ、その上から杉皮で覆い雨漏り防止とし、針金で押えさらに割り竹で編みこむようにして押える。グシが完了すると茅や小麦藁を屋根バサミで平坦に刈込んで屋根葺き終了となる。なお、腕のよい屋根屋の中には、グシの突端(ここをキリトビという)に屋根バサミで火伏せや繁栄を祈って「水」や「寿」の文字を刈込む者もいた。
こうして屋根葺きは終るが、グシ祭りを執り行なう家も多い。グシ祭りは、真新しいグシの上に親方が自ら屋根バサミで切った幣束を立て、その前にお神酒、塩、水、米、尾頭付きの魚、重ね餅を三重ね供える。屋根には親方をはじめ当家の主人公などが上がる。祭りは親方が執り行ない祝詞をあげ家内安全を祈願し、四方固めを行い、供え餅をまくといった内容であった。なお、祝詞の中に「霜柱氷の梁に雪の桁 雨の垂木に露の葺き草」といった火伏せを祈る歌を詠みこんだものもある。