ビューア該当ページ

芸能人の来訪

239 ~ 240 / 766ページ
 冬の間、ゴゼと言われる盲目の年寄りと若い娘の三人が三味線を弾きながら村を回り歩いた。越後から来たといい、和服姿で頭に編み笠を被り、手には青の手甲をはめて、ゾウリかワラジをはいていた。家の玄関先で三味線を弾きながら唄を歌い、礼として金を紙に包んで渡すか、米を一合程度出した。戦後まで見られたという。子どもを叱る時に「ゴゼ様にやってしまうから」という言い方をした。
 また、正月の頃、一年おきないしは二年おきにマルイチカグラ(丸一神楽)が宇都宮からやって来た。総勢六人程度で獅子舞を踊る二人と笛吹き・太鼓たたき、それに荷車を引く人たちで、家々を回り獅子舞を踊った。獅子の口に頭を入れてもらうと病気にならないとか、カサ(湿疹)が治るといい、厄除けに頼む家もあった。お礼は金か米で、一升が相場であったが、米の上げ高で演目が異なり、二~三升出すと、家の中まで入り、唐傘の枡回まわしや三・四本の棒で棒回しを披露した。昭和三五年頃まで見られた。この他、神楽獅子舞が戦前まで来ていた。
 さらに、正月には愛知県の三河から三河漫才が来た。毎年来るわけではなく、何年かおきに見る程度であった。太夫と才蔵役の二人組みで、太夫は烏帽子を被り団扇太鼓を携え、才蔵は大きな袋と鼓を持っていた。玄関で芸を披露し、お礼として、米や餅を出した。
 他に、何年かに一回であったが、正月に猿回しが回ってきた。米で一合ほどやると、猿回しの猿に輪をくぐらせたりして芸をさせた。また、昭和六・七年頃黒の着物に笠を被り尺八を吹く虚無僧が来たことがあった。