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戸主と主婦

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 戸主とは、明治期に制定された旧民法下で定められた「一家の首長で、戸主権を有し、家族を統括しこれを扶養する義務を負う者」である。旧民法は、江戸時代の武士の生活観や秩序を規範として作られたものであり、主従関係の明瞭な封建制を引き継ぐものでもあった。昭和二二年、戦後の民主主義の導入により家の制度とともに廃止されたが、実生活の中ではイエ制度はその後も根強く残存しているのが現実である。
 戸主の権限の強さを示すものに「カマドの灰まで戸主のもの」という言葉がある。これは高根沢町に限らず、広く県内でいわれた俗言ではあるが、この言葉の意味は、たとえ無用と思われるようなカマドの灰まで戸主の所有物である、つまり戸主の権力の絶大さを言い表した言葉である。
 一方、戸主の地位を象徴したものにイロリまわりにおけるヨコザがある。そこはイロリの一番奥まった所に位置し、大黒柱を背にした所であり、台所全体を見渡せる所でもある。戸主はヨコザに座し、家族の働きぶりや馬の健康状態を監視したものであった。高根沢町を含め、栃木県内には広く「ヨコザに座る者は、米買いだ」との俗言が聞かれる。これはヨコザに座る者は、一家を養う技量のある者、つまり戸主が座る場所であり、戸主以外の者が座すことを戒めた言葉である。
 戸主はイエを代表してムラ付合いに参加し、イエの神仏を祭祀し、家計を管理し、家族の管理を怠らなかった。もう少し具体的に述べると、例えばムラ付き合いでは、鎮守社の祭りや道普請や掘りさらいなどのムラ仕事、組内でおきた葬式や家の普請などの手伝い、あるいは近隣どうしの田植えや稲刈り、麦刈り、キノハさらいなどのユイドリなどがある。神仏の祭祀では、正月には若水を汲み、その若水を用いて作った雑煮を歳神に供えたり、あるいは節分の豆まきを行ったりする。家計の管理では、家の普請や大型の農機具など値の張る金額の買物の決定を戸主がしたものである。なお、家計の管理をシンショマワシといっている。家族の管理では、特に子供の進路の決定、例えば大学への進学や結婚、就職などについては戸主が決定を下した。
 主婦は戸主の妻がその任にあたり、戸主を補佐する立場にあった。戸主とともにムラ付合いに参加するのはもとより、日々の家計をまかない、年寄りの面倒をみ、子供のしつけ、嫁の指導はもっぱら主婦の役目だった。具体的には葬式や結婚式の手伝いに戸主とともに参加し、もっぱら客人の食事などの準備にあたった。戸主が高価なものの購入の決定権を有したのに対し、日々の買い物のような定額の買い物は主婦が行い、また、炊事は嫁が行うことがあっても、毎日の食事の献立を決め、飯を炊く米や麦の量を決定するのは主婦の役目であった。
 イロリまわりの座においては、戸主が座すヨコザのように明確な場所・座名は伝承されていないが、それでもヨコザの脇、流しに近い方を主婦の座とするイエが多い。

図15 ドンドン焼きの火でマユダマダンゴを焼く親子(大谷)


図16 念仏をあげる女たち(中柏崎)