相続といえば長男子相続が一般的となっているが、明治期の頃は必ずしも長男子相続ばかりとは限らずに男女にかかわらずに初めての子にイエを相続させる長子相続が行われた。つまり長子が女子ならばその女子にイエを相続させる方法(これを俗に姉家督ともいう)が行われたのであり、東北地方を中心に東日本に見られた相続の形態である。こうした長子相続が行われた背景には、「人生五十年」といわれたように戦前まで日本人の平均寿命は短く、早く子供に家督を相続しないと親が年取ってしまい、場合によっては亡くなりかねないという現実的な問題があった。なお、いったんは姉家督相続をとりながら、弟が結婚し一人前になったのを機に弟にイエをまかせ、姉夫婦が分家する中継ぎ相続を取る場合があった。
長子相続についての実例は、高根沢町でも聞かれる。上高根沢のHM家では、HMの曾祖母と祖母との二代に渡って長子、つまり姉家督相続を行い弟たちはシンタク(新宅)に出たという。一方、中阿久津のNS家の場合、曾祖母は弟との二人兄弟であった。姉である曾祖母がイエを相続し、弟は新宅に出たという。