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本家・分家の付合い

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 本家と分家との付合いは、どの世代に分家したのかわからなくなっても、「どこそことうちとは本家・分家の間柄にある」といわれ、長く意識されるとともに、他のイエとの間よりも付合いが強くはかられる。ましてや分家したての場合は、本家との付合いには強いものがある。本家からは経済的な援助、農具などの貸与がなされ、また、農作業や家の普請などにおいては、相互協力が欠かせない。もっとも、農作業などの場合は、分家の方が耕作面積が少ないために早く作業が終るので、分家から本家に手伝いに行くことが多かった。一方、子供の進路に際しても本家に相談し本家の意向をうかがったものである。その他、正月・盆などにおいては、分家より先に本家へ年始の挨拶、先祖供養の焼香がなされた。
 上高根沢のHK家の場合、祖父の代に新宅に出たイエが同じブラク内にある。祖父は一二人兄弟であり、長男が早世したので次男である祖父がイエを継いだ。新宅に出たのは、祖父の弟、三男である。戦前までは新宅との付合いが強く持たれ、新宅とは、田植え・麦刈り・稲刈りをユイドリ(結いどり)で行い互いに同等の労力で手伝いあったものである。その他、二・三年ごとに行う井戸サライや十数年ごとに行う屋根替えなどにもお互い手伝いあった。盆・暮・正月には、新宅より先に挨拶があったという。