ビューア該当ページ

隠居

289 ~ 290 / 766ページ
 隠居とは、老後、戸主権を相続者に譲り、生活を別にして暮すことをいう。隠居屋を建て、若い者とは別に煮炊きを行い、暮す。米や野菜などを本家から提供を受ける場合もあれば、自ら田畑を耕作し、野菜や米などを得る場合もある。高根沢町では、隠居をインキョ、隠居が耕作する田畑をインキョマエとかインキョメン(隠居前・隠居面)とそれぞれいっている。
 中阿久津のNS家では、二代にわたって隠居をした。NSは婿養子に入ったもので、最初は、妻の祖父母が隠居し、その後妻の父が隠居した。祖父母が隠居の際には、祖父自身が母屋の東側に隠居屋を建てた。建築当時の隠居屋の大きさは、八畳一間、四畳ほどの広さの板張りの勝手(ここにはイロリが設置)、それに便所で、屋根は杉皮葺きの粗末な物であったという。父の隠居は、母の死亡を機にしたもので、すでに祖父が亡くなり一人で隠居暮しをしていた祖母と一緒に暮すためだった。なお、父が隠居の際には、八畳間一間を増築した。隠居の食糧ならびに生活費は、祖父母が隠居の際には、本宅より隠居前として水田一反八畝があてがわれ、父が隠居の際にはそれまで祖父母があてがわれていた水田のかわりに年間米五〇俵が隠居前としてあてがわれたという。

図26 母屋の前に建てた隠居家(中阿久津)