中阿久津のNS家では、二代にわたって隠居をした。NSは婿養子に入ったもので、最初は、妻の祖父母が隠居し、その後妻の父が隠居した。祖父母が隠居の際には、祖父自身が母屋の東側に隠居屋を建てた。建築当時の隠居屋の大きさは、八畳一間、四畳ほどの広さの板張りの勝手(ここにはイロリが設置)、それに便所で、屋根は杉皮葺きの粗末な物であったという。父の隠居は、母の死亡を機にしたもので、すでに祖父が亡くなり一人で隠居暮しをしていた祖母と一緒に暮すためだった。なお、父が隠居の際には、八畳間一間を増築した。隠居の食糧ならびに生活費は、祖父母が隠居の際には、本宅より隠居前として水田一反八畝があてがわれ、父が隠居の際にはそれまで祖父母があてがわれていた水田のかわりに年間米五〇俵が隠居前としてあてがわれたという。
図26 母屋の前に建てた隠居家(中阿久津)