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〔ヨイドリ〕

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 ヨイドリとは、「結い取り」が訛ったもので、高根沢町や芳賀町あたりで用いられ、本来「結い」を意味する言葉である。ヨイドリは、田植えの際の労力の交換に代表されるが、麦刈りや稲刈り、キノハサライ(木の葉さらい)などもヨイドリで行われることがあるように、仲間全体がお互いに短期間の間に多数の労力を必要とする場合に行われた。
 ヨイドリで受けた労力を返すことをヨイガエシとかテマガエシ(手間返し)といった。この手間返しは、必ず同等の労力で返すものとされ、もし夫婦二人で二日間の労力の提供を受けた場合には、同じように夫婦二人で二日間手間を返さなけれならず、また、馬一頭を一日提供された場合には、馬一頭二人手間と換算され返した。このように労力の交換が厳格に行われたのは、短期間に行わねばならない農作業の場合、頼みにしていた労力が得られないと作業が予定通りに進まずに困ったからである。
 さて、ヨイドリでの農作業が一段落すると、仲間に対し酒や肴を振舞い労をねぎらった。田植えの場合には、コサナブリとかウエアゲ(植え上げ)と称し、各自の田植えが終った時に振舞いが行われたもので、戦後はマグロやカツオの刺身に赤飯、それにアンコロ餅がつきものだった。稲刈りの際には、カリアゲ(刈り上げ)と称して稲刈り終了後に振舞いをし、この時にはカリアゲボタモチと称してボタモチを作る場合が多かった。
 太田のTE家は戦前、水田約四町歩を耕作した農家である。TE家は、同じ太田地内のTN家・UK家・KY家と田植え、稲刈り・脱穀・調製などでヨイドリをした。TN家・UK家・KY家ともにTE家の親戚であり、耕作面積もほぼ同じようなものであった。ともに夫婦二人手間でやって来たものであり、借りた手間は同等の手間で返した。ヨイドリの御礼は、田植えの際は植え上げ、稲刈り・脱穀の際はコキアゲ、調製の際はニワヨセの日に、ヨイドリで世話になった人を招いて振舞いをした。植え上げにはアンコロ餅をつき、これを重箱に入れ土産の品とした。コキアゲにはボタモチを作り、一方ニワヨセには、庭に落ちていた稲穂を粉にして丸めた団子を作った。

図31 ヨイドリによる田植え風景(大谷 阿久津次大氏提供、昭和初期)