高龗神社は大谷の鎮守である。天延年中(九七三~九七六)に下野右門正が五行川の大岩に竜神を祭ったのが始まりだという。永正一一年(一五一四)夏に大干魃があり草木が枯れようとしたとき、山城国愛宕郡の貴布袮神社に七日間の雨乞いをしたところ、恵みの雨が降り草木がよみがえり作物が実ったので、貴布袮神社を勧請して五行川のほとりに祭ったといわれる。祭神は多加於加美尊という竜神だという。阿久津家が神職を務め、明王院の宮下家が別当であった。慶長五年(一六〇〇)に社殿を再建し、寛文三年(一六六三)に神像の装束のお召し替えが行われたという。正徳三年(一七一三)に神祇管領長上家を称した京都の吉田家から、正一位の神階を認めた宗源宣旨を授かった。明治五年に郷社になったが、明治一〇年には区画改正により村社となった。境内には稲荷神社・神明宮があり、大杉神社が合祀されている。