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礎神社(石末)

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 礎神社は石末の新田集落である柳林・籠関・赤堀・原の四集落の鎮守である。中世の礎郷には内野大権現が祭られ産土神とされていたという。内野大権現は原のゴリョウジョ(御料所・御霊所か)と呼ばれる地にあった。ゴリョウジョには一三歳以上の女子、あるいは嫁入り後の女性は立ち入ってはならないといわれた。内野大権現の神饌田は御供田と呼ばれる小字であった。近世には、石末村は上石末組・下石末組に分かれた。上石末には石末宿(本田)と原があったが、寛文年間以降に新田が開発され、笹原新田・向原新田が成立した。下石末は柳林とも称したが、貞享元年(一六八四)の新田開発で、下石末の中に赤堀新田・籠関新田が成立した。それぞれの新田集落ではムラの氏神を祭った。原では元禄一〇年(一六九七)に上和田の地に湯殿大権現を、柳林では下和田の地に星宮大権現を、赤堀では上の原の地に白鳥神社を、籠関では八幡宮を祭った。これらは、明治時代には内野神社・湯殿神社・星宮神社・白鳥神社・八幡宮と称して、それぞれの集落の氏神であった。明治三九年に神社整理が行われ、原の湯殿神社の地に、内野神社・湯殿神社・星宮神社・白鳥神社・八幡宮を合祀し、大正四年に礎神社として成立し、大正九年に村社となった。