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宝積寺の稲荷神社

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 宝積寺上組の吉内坪・河原内坪では稲荷神社を祭っている。寛延二年(一七四九)「宝積寺村差出帳」には「稲荷宮」とあり、吉内の加藤氏が支配していた。その後菊地氏が支配し、明治時代には上組の二三戸の共同所有となった。享和三年(一八〇三)に京都の伏見稲荷から正一位稲荷を勧請した証書がある。
 
   正一位稲荷大明神安鎮之事
    右雖為本宮之奥秘、依格別之願望略式修封之、厳璽令授与焉、祭祀慎之莫怠也
       正官御殿預
   享和三年三月豊日 正四位下行摂津守荷田宿禰信邦(印)
     野州塩谷郡宝積寺村
        小岑佐右衛門殿
 
 これは、伏見稲荷の神職である荷田家(東羽倉家)から出された勧請証書である。伏見稲荷では江戸時代の後期から幕末期にかけて、各地からの求めに応じて多くの稲荷神社や屋敷神に正一位稲荷の勧請証書を授与したが、これはその一つである。宝積寺上組ではこれを「お墨付き」といって、初午祭りの時には本殿に安置する。稲荷神社の本殿には天保一二年八月一五日の墨書がある。初午に祭りを行い、境内の上組集会所で赤飯とシモツカレを各家から持ち寄って直会をする。

図13 稲荷神社(宝積寺)


図14 初午祭りのお日待ち(宝積寺)


図15 正一位稲荷の勧請証書(宝積寺)


図16 初午祭り(宝積寺)