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荒鍬稲荷神社

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 荒鍬稲荷神社は宝積寺東町の北区にあり、河原内の古沢家が祭っている。古沢家の五代くらい前の久左衛門のときに宝積寺村と中阿久津村の境界争いがあり、通りかかる山伏に決めてもらおうということになった。山伏は祭壇を設けて薪を燃やし、その炎の中に鍬先を入れて、「双方のうち、我と思わん者は出て、焼けた鍬先を握れ。神様は正しい方をご存知である。無事手を離すことができる方が正しく、不正の方は手に焼き付く」と言った。双方から名乗り出る者がいなかったが、久左衛門は白い狐が炎の上を飛び越して行ったのを見て霊力を感じ、焼けた鍬先を握って離し、それで境界は決まったという。その鍬先を埋めて荒鍬稲荷大明神または白狐稲荷大明神として祭った。久左衛門は江戸時代末期から明治時代初期の人である。これは争いの判定を神にうかがう鉄火裁判の一種である。