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笠田稲荷神社

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 大正一二年に宝積寺・烏山間の烏山線が開通し、文挟・伏久・平田・花岡の四大字の境界近くには熟田駅(現仁井田駅)が開業した。駅前には専売局の煙草収納所ができ、近隣の煙草農家が収穫した煙草の葉を煙草収納所に売りに来た。また、芳賀町祖母井などの商家は、商いの荷を仁井田駅から運ぶようになり、仁井田駅に人々が多く集まるようになった。しだいに仁井田駅前は商店街ができ、昭和三年に商店街の人々が、商売繁盛のために笠間市の笠間稲荷を勧請して祭った。笠間稲荷神社から授かった勧進証書には次のように記されている。
 
  大前ニ御分霊ヲ奏請求シ畢ヌ、依テ御辛櫃壱合渡ラセシコトヲ証ス
  昭和三年十一月七日(印)
   笠間稲荷神社々掌中臣鹿島連嘉一郎(印)
 
笠間の笠と仁井田の田をとって笠田稲荷という神社名にした。仁井田の集落は四つの大字にまたがっているため、住民はそれぞれが属する大字の鎮守の神社の氏子となっていた。行政区も四つの行政区にまたがっていたが、昭和四〇年に仁井田が行政区として分離独立して、笠田稲荷神社は仁井田の鎮守となった。なお、現在でも仁井田の住居表示としての地番は四つの大字のままである。初午に祭りを行ったが、現在では初午に近い日曜日に行い、神事の後に仁井田の氏子にお札を配っている。

図23 笠田稲荷神社(仁井田)


図24 笠田稲荷神社のお札(仁井田)


図25 笠間稲荷神社からの分霊証書(仁井田)


図26 仁井田の笠田稲荷神社氏子講の範囲


図27 初午祭りの札配り(仁井田)