大前ニ御分霊ヲ奏請求シ畢ヌ、依テ御辛櫃壱合渡ラセシコトヲ証ス
昭和三年十一月七日(印)
笠間稲荷神社々掌中臣鹿島連嘉一郎(印)
笠間の笠と仁井田の田をとって笠田稲荷という神社名にした。仁井田の集落は四つの大字にまたがっているため、住民はそれぞれが属する大字の鎮守の神社の氏子となっていた。行政区も四つの行政区にまたがっていたが、昭和四〇年に仁井田が行政区として分離独立して、笠田稲荷神社は仁井田の鎮守となった。なお、現在でも仁井田の住居表示としての地番は四つの大字のままである。初午に祭りを行ったが、現在では初午に近い日曜日に行い、神事の後に仁井田の氏子にお札を配っている。
図23 笠田稲荷神社(仁井田)
図24 笠田稲荷神社のお札(仁井田)
図25 笠間稲荷神社からの分霊証書(仁井田)
図26 仁井田の笠田稲荷神社氏子講の範囲
図27 初午祭りの札配り(仁井田)