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桑窪の加茂神社の梵天祭り

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 桑窪の加茂神社は、南那須町月次の加茂神社の分霊が祭られている。月次の賀茂神社の姉神なので荒れるのだという。桑窪の加茂神社でも、月次と同様に梵天祭りが行われる。梵天祭りは、雷を呼んで雨を呼ぶ祭りだといわれる。もとは旧暦三月二五日に祭りを行ったが、農繁期の平日で祭りがしにくいので、平成元年ごろから新暦三月第二日曜日に行うようになった。
 桑窪にある上(和田)坪・中(宿)坪・下(新田)坪・西坪の四つの坪(集落)が、それぞれ梵天を作り加茂神社に奉納する。梵天は、各坪で一本作る。梵天にする孟宗竹は当日の朝に根ごと掘りあげ、根土を付けたままにしておく。竹を二本つないで長くして梵天の竿にする。梵天の先には、烏山和紙の御幣をつける。中坪・下坪・西坪では、梵天の先端に、墨で人の顔を描くが、上坪ではおかめの面を付ける。
 朝七時ごろから各部落のヤドで梵天作りをはじめ、一〇時頃にできあがる。午前一一時頃にヤドでもち米の五目すし・煮物などで飲食する。一二時にヤドを出発する。
 氏子総代四人・世話人四人は羽織袴を着る。梵天を担ぐ若衆は、上坪は緑色、中坪は黄色、下坪は桃色、西坪は青色の坪ごとの色のはっぴを着る。若衆は顔に紅・おしろい・墨で、思い思いに滑稽な化粧をする。もとは、うどん粉をつけて白い顔にした。加茂神社の神は女の神なので、男衆が化粧をして色男になって、女の神に会いに行くという意味だという。
 梵天には竹の根が付き、竿の先には御幣が付けられ顔が描かれて、男根を表している。これを担いで神社の拝殿に何度も突き入れることは、男女の交わりを表しているという。色男がご神体の女の神に会いに行くといういわれを、祭儀として行っているのである。梵天には、白い烏山和紙を御幣として結びつける。上坪だけは赤い和紙も混ぜて紅白にし、おかめの面をつける。それは、上坪の梵天は女を表しているからだといわれ、上坪の梵天は他の坪を練り歩いて、中坪・下坪・西坪の男の梵天を呼び集めて誘い、神社に連れてゆくのだという。また、梵天を社殿に突き入れることは、雷を神社に封じ込めるという意味もあるという。
 一二時に各坪では梵天の行列が出発して、桑窪の集落の中央に位置する斎藤酒店(くみや)に向かう。梵天とともに、おかめの面をつけたグシモチタワラ(ぐし餅俵)や一升瓶の酒をかついでゆく。午後一二時二〇分に四坪の梵天が集まり、若い衆が休憩する。午後一二時四〇分に斎藤酒店を、上坪・下坪・中坪・西坪の順に出発し、午後一二時五〇分に黒崎商店前で休憩する。午後一時に加茂神社に到着し、石段を駆け上がる。午後一時一五分に拝殿に突き込む。上坪の梵天をはじめに、四つの坪の梵天が二度突き込む。拝殿と本殿の通路には鉄の扉があり、これに梵天があたって社殿全体が大きく揺れ、社殿が壊れそうなほどである。
 梵天を突き込むと、先に付いた御幣の紙が落ちるので、それを参詣者が拾って持ち帰り、戸口に下げて魔除けにする。梵天は社殿横に立てられ結びつけられる。境内でふるまわれる甘酒を飲むと風邪をひかないという。昭和五〇年代までは、石段を駆け上がる前に梵天の竿の竹を割って柔らかくして、社殿を壊さないように突き込んだ。ぐし餅俵の餅は祭りの最後に社殿から参拝者にまかれる。

図30 ボンテン祭りでの上坪のヤド(桑窪)


図31 四つの坪のボンテンが加茂神社に向かう(桑窪)


図32 西坪のボンテンを担いで加茂神社の参道をかけ上がる(桑窪)


図33 上坪によるボンテン祭りで担ぐぐし餅俵(桑窪)


図34 社殿に突き入れる下坪のボンテン(桑窪)