ビューア該当ページ

太田の天祭

341 ~ 342 / 766ページ
 太田の天祭は、昭和二〇年代までは旧暦六月一四日から三日間行った。津島神社に二層造りの天棚を組立て、二層には天道さまを祭った。天棚に上り八百万の神仏を招く役のオンギョウサマ(御行様)は先達とも呼ばれ、三日三晩お籠もりして、白装束を着て、頭に宝冠を付け、玉串を持った。若衆が太田公会堂(公民館)の前の川で身を清めた。白の行衣を着た御行様と裸の若衆が天棚の回りを行列して回ることをゴライゴウ(御来光・御来迎)といい、天棚の前に水を入れた樽を置き、それをもんでゆらして水をかぶった。御来迎の最後に御行様が「ほめ言葉」を唱えた。「ほめ言葉」はきれいに飾った屋台をほめ、神社の由来を語ったものである。御来光は一日に午前七時・八時・九時・一二時・午後三時・六時・九時の六回行い、三日間同様のことを行った。太田の天棚は祇園祭(天王祭)の屋台に作りかえられた。

図54 天棚を転用した祇園祭の屋台(太田)