八月三日までに白鳥神社の境内に天棚を組み立て、午前一〇時からブッツケの行事が始まった。行人と裸参りの若衆が近くの五行川の川岸の行場で身を清め、天棚の二階の日天・月天に供物を供えて拝礼し、若衆が天棚の回りを行列して回る御来迎を行った。これを裸参りとも言った。一方、囃子方は御来迎の囃子を演奏した。天棚の前には清めの水の入った樽が三本の高い脚棒にくくりつけてあり、行道する裸の若衆が樽を揺すってもみ、水を掛けあった。一度の行道でこれを三回繰り返し、一日に四回の行道が行われた。夜の行道では「しばらく、しばらく、風雨順調、村内安全」ではじまる「ほめ言葉」が語られた。この天祭は、昭和四八年には町指定文化財に指定されたが、そのころから祭りは中断した。
図55 昭和40年代の天祭(花岡)
図56 昭和40年代の天祭での御来迎(花岡)