ビューア該当ページ

石末原の天祭

349 ~ 351 / 766ページ
 石末原には、加藤智久家の持仏堂である地蔵堂の境内に天棚小屋があり、八月一・二・三日の三日間に地蔵堂の境内で天祭を行った。地蔵堂の境内には、二月一〇日に石末原で祭る金比羅神社の御輿もある。天棚は天棚小屋に分解して納められており、天祭のときに組み立てた。天祭の三日間は地蔵堂に御行様が泊まり、四人の世話人が煮炊きして世話をした。女の人を近づけずに修行を行った。第二次世界大戦中に中断し、その後は行われなかった。昭和四三年に地蔵堂に隣接して石末原公民館が建てられ、昭和五五年に町の補助金で天棚を修復したので、天祭を復活させ、石末原公民館の庭で行うようになった。八月第一土・日・月曜日の三日間に行っている。復活したときに伝承が絶えていたので、お囃子は石末宿から教わった。お囃子はお囃子保存会によって、天祭囃子・新小松流新囃子が演奏される。復活してからは神主に祓ってもらうようになった。平成六年に天棚収納庫が町の補助金で建てられ、組み立てたまま収納できるようになったので、組み立ててある天棚を引き出して行う。このころから八月第一土・日曜日の二日間で行っている。
 地蔵堂境内の入り口の石碑には、「天祭供養塔 天明八戊申天三月吉日」とあり、天祭のときに天祭供養塔の供養を行う。天棚は天祭屋台ともいい、白木彫刻が施されている。階上の供物台板には、「慶応三歳卯八月 柳原邑 工師 郷間□蔵 □□久作 □□□吉 上野又三郎」「慶応三歳卯八月十五日」とある。行灯は天棚の前に立てられ、「天下泰平・家内安全・風雨順時・五穀豊穣」と書かれる。行灯に飾った飾り花は各戸に分けられ、畑にさして虫除けにする。天棚の後部に二本の梵天を立てる。天祭が終了したら梵天を石末神社に奉納する。
 御来迎は、昭和一〇年代までは日の出とともに行い、午前は六時・八時・一〇時・一二時、午後は二時・四時・六時に行った。公民館に近い用水の馬洗場に注連縄を張りみそぎ場としている。なお、平成四年に子供御輿を新調し、天祭とともに御輿の巡行が行われる。子供御輿は、公民館を出発して礎神社や町民広場を巡ってくる。現在では子供が少ないので親が手伝って担ぐことが多い。
 平成一二年の天祭は次のように行われた。八月第一土曜日は、午前八時に天棚を収納庫からころを使って引き出し、梵天や飾り花を飾る。天祭の会場となる原公民館の周囲の道路と川の除草をする。午前一〇時から公民館で世話人が煮物を作る。御行様は白の行衣に宝冠をかぶる。午後二時に天棚の階上に神主・御行様二人・役員三人が上り、お祓いの神事を行う。御行様一人は天棚の階上にいて、もう一人の御行様と神主・役員は天棚から下りて御来迎を行う。御行様の一人が先導して天棚の回りを三周し、みそぎ場に行って水に手をつけて清める。これを三回行う。御来迎の後は清めの飲食を行う。午後四時に子供御輿が石末原を巡る。午後五時に御来迎を行い、その後は子供会のヨーヨー釣りを行う。七時からは花火大会やカラオケ大会を行う。天棚収納庫にカラオケの舞台を設置して行う。八月第一日曜日は、午前八時に御来迎を行う。午前中は老人会が輪投げやペタンクを行う。午後二時に御来迎を行い、天棚を収納庫に収納する。午後三時に公民館でお日待ちを行う。

図66 天棚(石末 原)


図67 天棚を巡る御来迎(石末 原)


図68 天祭夏祭りの子供御輿(石末 原)