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中阿久津東組の天祭

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 中阿久津乗組の天祭は天満宮の境内で行われ、天満宮の境内で天祭を行ってきた。第二次大戦中に中断したが、戦後は復活した。昭和四八年に天棚が町指定文化財となり、昭和五〇年に天棚収納庫が建てられた。組み立てたまま収納されるが、階上の破風飾りは取り外して納める。天棚は江戸時代末期の作と伝えられる。日光東照宮の修理に来た彫刻師の若者が、徳次郎宿(宇都宮市徳次郎町)での遊び金欲しさに作ったといい、材料は中阿久津の柳の木を使ったという。破風の飾り彫刻の童子は大日如来の子供だという。天祭の時は村人はみそぎ場で水を浴び、天満宮の近くにある大日如来の石碑に参拝して御来迎を行った。御行様は氏子総代を経験した年輩の人が行う。昭和一二年ごろまでは、御行様は天棚小屋や公民館に七日間泊まり込み、新堀の川で水を浴びて、酒を断って修行をした。けがれを嫌って家には帰らなかった。行灯には飾り花を付けて、「五穀豊穣・風雨順調・無病息災・家内安全」と書く。かつては中阿久津の独自の「ほめ言葉」があったが、失われたため石末宿の「ほめ言葉」をならって復元した。
 
   天祭お褒めのことば
  やあー しばらくしばらく 旅を進めて我々は ずーと奥のその奥の そのまた奥の山奥の 炭焼き親父のドラ息子 隣の娘を嫁にして 延生の地蔵さんに願かけて 安産祈願の帰り道 笛や太鼓に誘われて 花の当地に立寄れば 天祭祭りの真っ最中 さても立派な天棚に 一言お褒めて帰りたい さて皆様ご所望か 無用か伺いたい
   参加者「所望 所望」の声
  あーら嬉しや所望の声 それではお褒めいたしましょう 先ず行灯を見ますれば 天下泰平 集落安全 風雨順調 五穀豊穣の御祈願 さて天棚を見ますれば 破風造りの二階建て 花鳥風月 唐獅子牡丹に 大日如来の童子の姿 上り龍に下り龍 さても平和の楽園を 良くぞ彫りたる彫刻は 左甚五郎作かと思われる ずーと奥を見ますれば 日天月天十二天 二日二夜の常夜灯 清き流れに身を清め 二日二夜の行を積み 白装束の御行様 階下お囃聞くなれば 一笛二太鼓三しゃぎり 四つ世の中おだやかに 五ついつでも睦ましく 六つ無病息災で 七つ何事まろやかに 八月やっぱりご天祭 九つここで止め所 御当地繁盛 皆様繁盛 御当地繁盛 皆様繁盛
 
   天祭お返しのことば
  東西ー東西と鳴り物を 差し止めまして只今は どこのどなたか存じませんが 当地の祭りの天棚を 上から下から隅々まで お褒め戴き感激し 集落一同に成り代わり 厚くお礼申します 本来ならば御礼に 気持の粗品差し上げたいところ 何分祭りの最中で 取込中でございますので 言葉だけの御礼で 深くお許し願います
 
 平成一二年の天祭は次の通りである。八月第一日曜日のブッツケは、午前八時に天棚収納庫からころを使って天棚を引き出し飾り付ける。午後六時にブッツケの御来迎を行う。御行様二人・役員三人が天棚の階上に上り、供え物をして御行様が線香をあげて拝む。一人の御行様は階上の破風の上に立ち線香を立てる。そのとき祈りの言葉を述べたが、現在では失われている。もう一人の御行様は天棚を降りて村人を先導して「ゴライコウ、ゴライコウ」と唱えて天棚を巡る。三周してみそぎ場で手を清め、天満宮の石段を上って丘の中腹の天満宮の社殿を巡る。一人の村人が出てきて「ほめ言葉」を述べると、御行様が「返礼の言葉」を述べる。
 八月第一日曜日のナカビは、午前一一時にナカビの御来迎を行う。神主・御行様・役員が天棚に上り、お祓いの神事を行う。御行様は線香をあげて拝み、神主は祝詞を奏上する。神主と御行様一人が下りて、御来迎を行う。一二時に公民館でお日待ちの飲食をする。大杉様の御輿を公民館の前に出し、大杉様のお日待ちも兼ねる。座敷には十二天が隠されて描かれた掛け軸と大杉大明神の掛け軸をかける。これらは近年に新調された。八月第一月曜日のブッキリは、午前六時に天棚を収納庫に収納し、かたづける。

図69 天棚を巡る御来迎(中阿久津)


図70 天棚の御行様と童子の彫り物(中阿久津)