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桜本地蔵

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 亀梨の東谷津には桜本地蔵があり、鈴木姓のイッケといわれる同族集団が祭っている。四月二十四日にぼた餅を供えて祭りを行い、亀梨の念仏講が「桜本地蔵和讃」(資料編参照)を唱える。古くは一〇月二四日も祭りを行った。安産子育ての利益があり、月の二四日に参詣がある。
 地蔵堂の傍らには法華経の一字一石の経塚があり、供養塔には次のようにある。
 
   □□作是念□供養衆生
   奉書写妙法蓮華経全部平等所
   得入無一道速成成就仏身
 当処桜本地蔵尊不知何世人所造字置聴野年代甚□□□新也如谷応誓願無不□□祈雨興瘧病二年感応最著□□享保戊戌年□□庵主発願修復念仏鉢四方造営地輪台座等予又企□願石写妙法蓮華経全部而納其下□大士利生深恩□備法界有情成道童子聚渉功用猶成一乗妙行利又順金口書写教勅手因思増上畳石中存寔変□成寂□中者乎当知是処諸神力所護諸天昼夜□□護の仰□□見聞膽禧之群類得見□・・・□菩提供蒙地蔵菩薩□□道口 享保□十月二十四日 □□願主了然敬白
 
 これによれば、桜本地蔵は享保三年(一七一八)以前から祭られ、雨乞いや病難除けの信仰があった。享保三年に了然が托鉢して資金を集め地蔵堂を修復したが、そのとき法華経一字一石の写経を成就したという。その後土中に埋もれてしまったが、明治三二年四月一五日に地蔵のお告げで地蔵が埋もれているというので、堀り上げて桜の下に祭った。

図75 桜本地蔵(亀梨)