仁井田では一二月二五日に暮市が立ち、一月五日に宿通りに花市が立った。市の露店は仁井田駅の東西三〇〇メートルに出た。暮市は、もともとは台新田で開かれていたが、大正一二年に烏山線の開通にともなって台新田の暮市がさびれ、文挟に移ったが、その後仁井田に移した。暮れ市では正月用品と野菜を売ったので青市やゴボウ市といった。花市ではだるま・宝船などの縁起物を売った。暮れ市は平成七年まで行い、花市は平成一〇年まで行なった。花市や暮市のときは、宿通りにあった市神で市神祭りを行った。露天商の親分が白衣を着て烏帽子をかぶり、祝詞をあげてお祓いした。親分は六尺棒で計って露店を割り振る見世張りを行った。花市・暮市のときは、宿通りは露天商が自由に使える場所となり、露天商の親分が指図した。市神は昭和五〇年頃に笠田稲荷神社の境内に遷座した。
図80 市神(仁井田)