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松迎えと門松

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 正月の歳神様を迎えるためには、目印となりかつ歳神様が依りつく物が必要である。その目印として、あるいは依りつくものとして用いられるものに松の木がある。松迎えは二五日、あるいは二七日、三〇日とする所もあったが、多くは二八日に行なった。松を迎えてくる場所は、屋敷山か自分の持ち山であるが、「松はどこの山から取ってきてもよい」ともいわれた。そうしたことから、山を持たない農家では、余所の家の持ち山に入り松を迎えてきたという。松の木は、赤松の枝振りのよいものが好まれた。戦前は芯のある松の木で、サンガイマツ(三階松)といって芯の両側に三段になるように枝の出ているものが尊ばれたが、戦後は乱伐を防ぐために枝を切ってくるようになった。なお松迎えに際し、大谷では納豆と粉餅とを大神宮様に供えるとともに、それらを食べてから出かけるならわしがあった。また松迎えには、米やお神酒を持参し、伐採する松の木の根元に供えてから切った。
 山から迎えてきた松は、笹竹と梅の木とともに杭に荒縄で縛りつけて飾る。荒縄は上から七巻き、五巻き、三巻きと七五三に縛ると縁起が良いともいわれた。立てる場所は、屋敷の門口と庭の中心であり、普通は二本対であるが、庭の中心には三本立てる家もあった。この門口や庭に立てる松を特に門松といった。他に母屋の出入り口である大戸口や門、蔵、厩、納屋、屋敷神、便所、井戸、あるいは母屋内部の各神棚や仏壇などにも松を飾った。
 ところで、昭和三〇年代になると、新生活運動と称し町から門松の絵を印刷した札が配布されるようになり、その札を大戸口などに張る家が次第に増え、やがて門松をはじめ松を飾る家は少なくなった。