小屋作りは戦前は高等科二年生、戦後は中学二年生くらいを最年長者とした子供たちが中心となった。準備はすでに暮れの頃から始まり、骨組となる孟宗竹や笹竹などをブラク内から調達する。これを一四日前に大人の力を借りて骨組を組立て笹竹を積重ねて形作り、一月一四日には昼間各家を訪れてもらい受けてきた松飾りを積重ねて仕上げる。なお、骨組を七日に組立てるという所もあり、また、一四日各家では子供たちが来ると、松飾りを渡すとともに、ご祝儀として多少のお金や繭玉、お菓子などを持たせた。
小屋の形態には直方体と円錐形との二種類がある。近年は円錐形が圧倒的に多いが、伝承では直方体の方が古い形態という。石末の一部では、今なお直方体のものを作っている所がある。内部には炉を設置し、カギヅルシを下げ鍋が掛けられるようになっている。いずれも太い孟宗竹を骨組にしたもので、燃える時に孟宗竹が大きなおとを立てて割れるのが子供たちの楽しみで、その音を競いあったという。
小屋がおおよそ出来あがると、子供たちは毎日集まってはおでんや芋煮しめを作ったりして遊んだものである。小屋に大人たちが訪れた際には、おでんや煮しめを御馳走し、お礼にいくらかの小遣いをもらったこともあったという。
小屋を焼く際には、ヤクオトシ(厄落とし)とかヤクハライ(厄払い)などと称し、厄年の人がやってきては煎餅やお菓子などを子供たちに配ることもあった。
小屋はなるべく遅くまで焼かずに残しておくのが良いとされ、そのために「ダマシ小屋」と称する小さな小屋をあらかじめ作っておき、それを燃やし、それにつられて他の子供たちが小屋を燃やすのを確認してから、おもむろに本物の小屋を燃やすこともあったという。なお、このドンドン焼きの火であぶった繭玉を食べたり、立ち昇る煙に当たると一年間風邪をひかないという。
ところで一時はほとんど見られなくなったドンドン焼きであるが、最近また復活してきている。子供たちの交流の場として、子供会育成会の役員が中心になって行っている所が多いようである。神社の境内に穴を掘り、そこに正月の飾りを投げ入れ、婦人部の役員が朝から作った繭玉をその火で焼いて食べるという所もあるが、戦前のように小屋を作るところも増えてきた。
石末の笹原の場合、以前は宿で行っていたドンドン焼きに参加したものであるが、平成のはじめ頃、地区の役員と育成会の役員との協議の結果、笹原でもドンドン焼きを行うようになった。現在でもドンドン焼きは実施され、暮れの内から育成会を中心に小屋作りが行われ、一月一四日の晩には、子供たちを集めて盛大にドンドン焼きが行われている。
図11 トリゴヤで食事する子供たち(上柏崎)
図12 マユダマを焼く(石末)
図13 四角のトリゴヤ(石末)
図14 円錐形のトリゴヤ(花岡)