高根沢町では、仁井田に「母子健康センター」ができた昭和四〇年まで、出産は自宅で行なうのが一般的であった。そうした自宅での出産の介添えを行なう助産婦の資格を持った人のことを、サンバサン(産婆さん)とかトリアゲバアサンといった。他にも、近所にいる経験豊富で器用な人が、産婆の役割をして出産に立ち合うこともあり、こうした人のこともトリアゲバアサンと呼んでいた。
まず妊娠がわかると、近所の産婆さんに頼みに行ったが、特に異常がなければ妊娠中にあまり産婆さんに世話になることはなく、五ケ月目に腹帯を巻いてもらったり、産み月になると様子を見にきてもらうくらいだったという。
いよいよ陣痛が始まると、夫が産婆さんを呼んできた。産婆さんは陣痛のときに産婦の腹をさすったり出産の介添えをし、出産後はアカンボ(赤ん坊)のへその緒がとれるまでの一週間は毎日来て、赤ん坊を入浴させたり産婦の様子を見た。