生後七日目はお七夜で、デソメ(出初め)といって赤ん坊が初めて家から外出する日である。この日までに、嫁の実家から赤ん坊のヒトシンショといって産着、ツネッキ、ヨソユキなどの着物がお祝いとして贈られ、出初めの日には赤ん坊にその産着を着せてオシャラクさせ、額には鍋の底についた墨で「犬」と書いた。
赤ん坊は産婆か姑に抱かれ、大神宮様、稲荷様などにお参りし、門口・イロリ・カマド・便所・井戸・橋・漆の木などをまわった。このとき、赤飯・塩・お神酒・米・大豆・小豆・麦・胡麻などの五穀・かつお節・オヒネリ(お金)などを膳や皿に盛り、それをお供をする親族などが捧げ持ち、子どもの無事の成長を祈ってそれぞれの場所に供えていった。なお、このお参りの人数は五人や七人など必ず奇数で行くものとされた。
出初めでまわる場所は、火があったり落ちたりする恐れのある子どもにとっては大変危険な場所であり、そうした場所を選んでまわったものと考えられる。漆の木などの場合は子どもがかせないようにという意味があるというが、漆の木が近くにないときには南天の木にお参りしたり、渡り初めを行なう橋が近くにないときには、平らな場所に板などを置いてそれを橋に見立ててその上を歩いた。
また、便所へのお参りはセッチンマイリ(雪隠参り)ともいい、桑や川辺に生えた柳、麻がらなどで、芽を落としていない四〇から五〇センチほどの長さの枝で箸を作り、「それ食え、やれ食え」などと言いながら、その箸で三回、便所の汚物を赤ん坊に食べさせるまねをした。箸の芽を落とさないのは、「子の芽がでるように」という意味があるという。また、このときの箸は、半紙にくるんで紅白の水引でしばり、便所の軒先にさした。家によってはイロリにもお参りし、このときのお供えは、男の子だとヨコザ、女の子だとキジリに供えたという。他に出初めのときには、オナカマイリ(お仲間入り)と称して近所の子どもたちが集まって赤ん坊の後をついてまわり、お供えしたお菓子やオヒネリなどをもらってきた。このとき赤ん坊の分は残しておくものだといった。
出初めが終わると、家に産婆さんや仲人、嫁の実家の両親、親戚、近所の人たちなどを招き、赤飯・煮魚・刺身・キンピラゴボウ・オニシメ・酢の物などのご馳走を用意して振る舞ったが、特に長男のときには盛大に行われたという。このとき招いた客にはダキソメといって、年寄りの順から全員に赤ん坊を抱いてもらった。また、客へのオヒキモノ(お引きもの)として、町内の西根屋や朝日屋などに頼んで鯛の打ち菓子などを用意した家もあったという。
この日にはまた、出産のときお世話になった産婆に、赤飯とお金を包んでお礼をした。また、母親はまだ産室からでられなかったが、最後に顔をだして招いた客にはあいさつをしたという。