かつての男女の結婚のきっかけといえば、見合いという形がほとんどであった。近所の世話好きなお年寄りなどが仲介役、いわゆる仲人となって年頃の娘や息子のいる家に縁談を持っていった。このとき、組み合わせで一番重要視されるのは、それぞれの家柄、家同志のつりあいであったという。その他、本人同志の年回りや性格、家族構成などから組み合わせを考え、それぞれの家に相手の身上書などを持って下話をした。話を持ちかけられた家の両親は、見合いをする前に相手の家までこっそり訪ねていき、近所でその家や相手の評判を聞いて見合いをするかどうかを決めたという。
相手については、高嶋暦を見てお互いの九星の相性や相手の家の方角を占ったり、鑑定所で相手の名前の画数を見てもらって決めるという人もあった。また、年回りについては厄年のときには結婚は避け、特に女性の場合には丙午の年に生まれた人はおっかないのでよくないといって避けられることが多かった。また、家柄のつりあいの問題もなくお互いのことをよく知っているということもあって、当時はいとこ同志の結婚が珍しくなく、このときには見合いという形は省略されたという。
また、いわゆる結婚の適齢期といわれた年齢は、男女ともに二一から二五歳くらいまでで、二五歳くらいまでに結婚しないと、一生結婚できなくなるのではと周囲から心配されるような雰囲気があったようである。また、結婚は町内よりも農家の家の人の方が早いという傾向もみられた。