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野辺送り

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 当家から墓地までの行列を野辺送りという。野辺送りにはさまざまな役割があり、死者の親族が中心となってその役割をつとめた。
 野辺送りの役割と順番は、①先松明、②旗、③高張、④花籠、⑤龍頭、⑥杖、⑦机、⑧六合、⑨花、⑩香炉、⑪霊膳、⑫位牌、⑬前の綱、⑭輿、⑮天蓋、⑯輿添、⑰後の綱、⑱後押、⑲見送りとなっている。
 先松明は二メートル位の竹の棒の先を割いて、その間に杉の葉などの燃えやすいものをはさんでつめ、針金でしばって作る。かつてはこれに火をつけて野辺送りの先頭を歩き、狐や狸よけだといったが、現在は形だけである。
 旗は三色か五色の細長い布を木の輪につけ、それを麻ひもで竹の棒に結んだもので、旗の色は白、黒、青で、赤は使わなかった。
 高張は提灯を麻ヒモで竹の棒の先につけたものである。
 花籠は竹で籠を編んでその竹の先を切らずに麻ヒモでしぼり、その籠の底の方から枝を残した竹の棒を差しておき、籠の上部には色紙に切り込みを入れたものを竹の棒に巻いたハナというものを飾ったもので、これを二つ作った。籠の中には色紙を小さく切ったものとマキセンを入れておき、野辺送りのときはこれを振り、マキセンや紙の花を落としながら歩いた。マキセンは会葬者が拾ったが、葬式のマキセンは貯めておくとよいという一方、すぐに使った方がよいともいう。また、長生きした人の葬式のマキセンは縁起が良いといって拾ったが、若い人の場合はそうではなかった。
 龍頭は、竹の上部の枝を左右二本残したものに、墨でこけらの形を書いた障子紙を輪にしてとおし、その上に紙をまるめた二つの玉を麻でしばりつけて作る。二本の枝は龍のヒゲで二個の玉は眼に当るという。
 杖は、一メートルほどの竹の棒の先に紙をまるめたものを麻ヒモでつけ、金や銀の折り紙で巻いた。
 机は香炉などを置く台で、白木の板に簡単な足をつけたもので、故人の子がこれを持つ役割をつとめた。
 六合は枕ダンゴを箱に入れたもので長男の嫁がこれを持った。
 花は一対で作り、白木で造った三方の形をした台に造花の蓮の花が差してあるもので、台には金銀の紙を張りつけた。これは、故人の子が持った。
 香炉は、線香を上げるのに使う簡単な白木の箱。
 霊膳は、白木の膳に枕団子・枕飯・水をのせたもので、故人の妻がこれを持った。
 位牌は白木でできた簡単なもので、跡取りとなる長男がこれを持ち、最後に位牌は死者とともに埋葬してきた。
 前の綱、後の綱は棺の前後にかけたヒモで、それぞれ一反ずつの白い晒しのヒモを使用した。
 輿は棺桶を運ぶとき、床番の四人のそばに付き添う人をいい、死者の子どもがこれを務めた。
 天蓋は、竹の棒に四角の色違いの紙を麻で下げたもので、これを棺の上にかざして歩いた。
 輿添えは、棺桶の真ん中あたりを両脇から支える人をいう。
 他に六地蔵といって、白木の板の下に台をつけたものに人の形を六人書き、それぞれの人の絵の前に釘を打ってロウソクを立てるようにしたものも、墓地に持っていって差してきた。
 また、かつては、葬式組の人が鉦や太鼓を叩いて葬列に参加したが、葬式をジャーボやジャンボとよぶのは、この楽器の音から来た呼び名であるといわれる。なお、日蓮宗では鉦はなく太鼓だけを叩いた。
 野辺送りの葬列のヤクツケ(役付け)は施主と帳場が相談して決め、出棺の準備ができると帳場が役付けを読み上げた。
 葬列で位牌を持つものと床番は、裸足にワラジを履いて野辺送りをし、履いたワラジは墓地で燃やして帰りは裸足のまま帰ってきたという。
 棺を家から出す前に、ダンバとかバンバと称して庭に竹を四本立ててその間に荒縄を張ったものを用意し、その中を前の綱、後の綱、天蓋の役は葬具を持ったままで、その他の役の人は持っている葬具を置いて、棺桶と一緒に左に三回まわった。家の庭ではなく墓地に棺を置く石が置かれており、そのまわりに竹を同じように立てて行うこともあった。
 また、野辺送りの墓地に行くまでの道の角などにはムシロを敷いて、葬列は必ずその上を通ったという。現在でも棺を霊柩車まで運ぶときには、その通り道にはムシロを敷いてその上を歩くという。

図13 昭和24年の葬列(花岡 福田正雄氏提供)


図14 先松明(石末)


図15 花篭と杖(石末)