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〔屋台囃子〕

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 屋台囃子は祭りの花形である。屋台囃子が俗に江戸囃子とか神田囃子ともいわれるのは、江戸時代の享保初年(一七一六)に江戸の葛西神社の神主が、近隣の在来囃子である神楽囃子等の下座音楽を基に、京都の祇園囃子を取り入れて江戸前の曲調に改良した和歌囃子を、村内の若衆に教えたのが始まりといわれるからである。江戸の神田明神と赤坂山王権現の祭礼は、それぞれ一年交替で行われ、山車と神輿の神幸行列は江戸城への繰り込みが許され、将軍の上覧に供し、幕府がその催しに直接関与した天下祭りである。
 山王社は将軍家の産土神、神田社は江戸の惣鎮守としての格式のもと、氏子の祭りへの思い入れは深く、祭りの盛り上がりは最上級のもので、この時に演奏された祭り囃子が江戸囃子であり、神田囃子とも呼ばれまた熱狂的な演奏から和歌囃子が馬鹿囃子とも俗称されるものである。楽器は大太鼓一、締太鼓二、笛一、鉦一の五人で奏されることで、通称五人囃子ともいわれる。
 軽快なテンポと強烈なリズムのこのお囃子は人気を博して関東一円に広まり、その後さらに改良を加えられ現在の五段囃子として定着した。神社の祭礼の時に神輿を供奉し、氏子が練り物・山車・屋台を連ねて演奏する行道囃子でもあり、また一方で神社の境内や各町内の祭りの場に、仮設の演奏台を設けて太鼓を備えつけ演奏する居囃子としても行われる。
 ここで演奏される曲目は、エドワカ、ショウデン、カンダマル、カマクラ、シチョウメの五曲全部をこの順番に演奏するのが一般的で五段囃子という。なおエドワカはエドバカともいわれ、また、これらの呼び名に対し江戸若、昇殿、神田丸、鎌倉、四丁目(四丁面、七丁目)の文字があてられることがある。一連の曲の中で、エドワカはテンポが速く、ショウデンは比較的ゆるやか、カンダマルは中位の速さ、カマクラは最もゆるやかで、シチョウメは速く強い調子で、という具合に各曲それぞれで、節や調子を変化させながら曲の流れの中で、リズム感や旋律の美しさを取り入れて全体が構成されている。
 高根沢町内には、太田、伏久、赤堀、宝積寺下組・中組・上組、東町南区・中区、石末宿、天神坂、中柏崎、上太田等の各地区に祭り囃子がある。このうち赤堀のお囃子は後継者の不在により平成元年頃から活動を休止している。また宝積寺地区でも道路の交通事情により、地区内での屋台の引き回しが困難となり、それに応じてお囃子の活動も休止状態になっている。
 上太田のお囃子も戦後の昭和三〇年代までは非常に盛んで、茂木町・芳賀町等々のお祭りに頼まれて出向き、地元の屋台に乗ってお囃子を演奏したが現在は絶えてしまった。