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〔宝積寺地区のお囃子〕

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 宝積寺は元々、明治三二年一〇月の東北本線宝積寺駅開業後に、駅周辺の台地上に市街地として発展した新しい宝積寺に対し、台地下の国道四号線沿いに古くからある宝積寺のことをいう。台地の下にあることから、最近では通称下宝積寺といわれることもある。
 宝積寺は、南から北へと順に下・中・上の三組からなり、それぞれお囃子が存在する。このお囃子は地区の八坂神社の天王祭に繰り出す屋台上で演奏されたものである。
 天王祭は、天保年間(一八三〇~一八四三)頃から毎年旧暦六月中旬に行われたというが、はじめは船祭りが主でありお囃子も船で演奏されたといわれる。この船祭りと船屋台について『郷土教育資料』は、阿久津五名物の中で「宝積寺の船祭り。祇園八坂神社祭りである。旧暦六月十七日に行われ、二日間に渉りて屋台練り歩き、町内の賑ふは上阿久津の秋祭りに似たり。十八日御輿渡御す。この夜晩く御輿に伴ひて町内を一巡し終るや、おはやしは、提燈や飾りと共に船屋台に移りて、鬼怒の流れを上下するのである。ほうづき提燈の光波間に砕け、其の美しさ言はん方なし。この船祭り近郷に響きて阿久津名物の名にはぢず。」とある。船祭りは昭和初期まで続いた。船は屋台と同じようにお囃子が出来るようになっていたという。
 最初は鬼怒川の水害に対する船祭りであったが、その後厄病払いも祈願するようになったこの祭礼は宝積寺全域のもので、三台の屋台が三つ巴となって打ち合うお囃子は華やかで祭りを一段と盛り上げるものであった。
 ところで、下・中・上の宝積寺三地区のお囃子で、他のお囃子にはないきわめて特長的な曲がある。バカバヤシと呼ばれる曲で、この曲名は他地区の囃子方にも多くあり珍しくはないが、この地区のバカバヤシは、祭りの始まりである御輿や屋台が倉庫から引き出される時、さらに祭りが終了して御輿や屋台を倉庫にしまう時にのみ演奏される曲目のことをバカバヤシと呼ぶ。簡単なお囃子なのだがテンポが速くて、にぎやかで最高の曲でありよその地区にない宝積寺独特のお囃子曲である。