祭りに芝居を奉納する形には、地元の村人が自分達自身で芝居を演じて奉納上演する、地芝居といわれる葛生町牧の歌舞伎の形式のものと、芝居を伝えている他の地区の人達を招き、芝居を演じて奉納上演する買芝居形式(この場合には本職の役者に頼むこともある)の二通りの方法がある。中阿久津天満宮の場合は後者の例で、昔からいわゆる買芝居として、他の芝居一座に上演を依頼して奉納してきた。
この中阿久津天満宮の祭りでは芝居の奉納は絶対に欠かしてはならないもの、つまり永代恒例行事として続けられ、古くは近世末期の弘化年間(一八四四~一八四八)の奉納記録がある。その後、地元の人々により奉納上演の伝統は守り続けられたが、戦中・戦後の一時期は、日本中のすべてが大混乱した困窮時代で伝統を守ることは大変なことであった。そこでやむをえず取りやめたところ、地区に病人が出るなど不幸な出来事が生じたりしたこともあったという。
戦後になり、この祭りの復活に尽力したのは当時全国的に活動した青年団である。とりわけ素人芝居としての青年団の演劇活動は娯楽の雄として村人に歓迎され、明るい明日の郷土建設を目標に、国民全体が一丸となり邁進する復興の起爆剤として、この戦後の青年団活動の実績は忘れてはならない。この中阿久津天満宮の芝居奉納の歴史の中にも、青年団や地元民の素人芝居奉納の時代があったのである。