盂蘭盆会は旧暦の七月一三日から一六日に行われた。昭和三〇年代の後半になってからは、現在のように月遅れ盆の八月一三日から一六日に行うようになりこの日をお盆という。祖霊や新仏の精霊を招いて慰めるためにいろいろな行事を行う。死者の霊魂をお祭りする魂祭りで精霊会である。
その行事の中で盆踊りも大切な儀式の一つとして行われ、今も受け継がれている。特に現在は娯楽行事として定置し全国津々浦々、盆踊りが行われない所はない程の国民的人気のレクリエーションとなり、夏の風物詩となっている。この盆踊りは音頭取りの歌う盆踊り歌に合わせて踊られる。歌も踊りも各地域により特色があり、形式も円舞形と行進形がありさらに歌い方も音頭調と口説き節調とがある。
現在栃木県内では主に日光和楽踊りと八木節の二つが行われている。和楽踊りは音頭形式の歌で、やぐらの周りを回る円舞形で踊られ、本県内の中央部から東部・北部一帯で行われ高根沢町内でも和楽踊りが踊られている。一方の口説き節である八木節は両毛地区で盛んに踊られている。
昭和五年頃の高根沢町宝積寺の盆踊りについて次のような記録がある。
「宝積寺の盆踊り。旧暦七月十四日盂蘭盆となれば、村内各部落共若衆男女の盆踊りあり。花笠姿の律韻優しく踊り廻る様の実に麗わしきものなり。村から村へ響き渡る太鼓の音、里から里へ流れゆく盆歌の韻律、村の夏の情趣はこの盆踊りに一段の味いを増すものである。近来仮装を凝らして踊りに一層の趣を添え、「三国一の美男美女で旗頭」ちょう声の下より、馬上雄々しき与市の戦姿が現われたり。さて石童丸が踊り出し、曽我兄弟が二人連れ、思い思いの装い、可愛いピエロも出れば時ならぬサンタクロースが現われる。概ね十四日の晩より、十五・六・七日迄踊り続けるようである。外で踊られるのも盛大なれど、宝積寺停車場付近の踊り最も現わる。」(『郷土教育資料』)
また昭和三八年ころの盆踊りについて別な資料では「駅前にやぐらをあげ、仮装には高砂のおきななどの装いもある。高根沢音頭で十四・十五・十六日と踊り続けられ、さすがの広場も、踊る人見る人で埋められ、揃いのゆかた姿艶やかに、老若男女の別なく希望に満ちて踊り続けられる。」(『高根沢町郷土誌』)
現在の盆踊りは八月一四日の夜、町民広場にて花火大会とともに行われる町最大のイベントの一つとなっている。
盆踊り歌の歌詞は即興的に歌われるもので、数人の歌い手が笛と太鼓と鉦の伴奏でつぎつぎに歌い継いで行くものであった。その伝統的なものが毎年毎年歌詞を広く一般から募集し採用する方法として残されている。