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〔言語伝承―耳の文芸―〕

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 社会生活を営む私たちは、さまざまな道具に支えられて生活している。特に、高度情報化社会と言われている今日の生活にあっては、視覚や聴覚という人間の感覚までもが、高性能の情報機器に転換させられようとしている。しかし、少し前までの生活では、文字や映像という、記録による文化継承ばかりではなく、人間の感覚そのものを生かした、話ことばという耳の記録、つまり、記憶による文化継承という機能も重視されていた。
 言語伝承は、「口承文芸」と呼ばれたりすることもあるが、一般的には「民話」と呼ばれている。「民話」は民間に語り伝えられてきた話という意味を持っているが、話しことばのリズムや響きを生かして、古代から途絶えることなく、その時代時代の心を積み重ねてきた、庶民の文芸でもある。「民話」をさらに細かく分けると、「伝説」や「昔話」、そして、「世間話」などがある。
 「昔話」は、「むかし、むかし」とか「むかしあったけど」と語り始め、「どっと、はらい」とか「これでおしまい」で納める。また、「へんとう」とか「おっとう」と独特の相づちを打つなど、語りの形式が大切にされている。一般的には、木小屋などでの農作業の効率を上げる働きや那珂川流域の葉たばこ農家の夜なべ仕事を手伝う子供たちの眠気を覚ます働きとして語られてきたものである。そして、「民話」は、語り手と聞き手が共同して作り出してきた物語の世界でもあったのである。
 「伝説」は、地域に起きた過去の事件に基づき、特定の人物や事物の由来を説明しようとする。大きな石や木、冬でも涸れない沼や池、地域に起こった不思議な事件があると、湖沼の開発や貴人の巡行、あるいは、高僧や英雄の奇瑞として語る。伝承の形式はあまりとらわれず、話の伸縮も自由である。
 高根沢町では、現在「昔話」はほとんど聞かれなくなってしまった。残念ではあるが、今回の調査ではこれと言って記録できる「昔話」を集めることができなかった。「世間話」は日常生活の中に起きたさざ波のような事件を噂話のように語り合い、事件の緊張感を和らげ、しかし、その事件が残した生活の知恵は忘れないようにしようという、巧みな耳の文芸である。高根沢町における「世間話」もかすかにその残像を残すのみではあるが、いくつか「伝説」と結びついて記録することができた。しかし、「世間話」そのものとしてまとめ記録するまでには至らなかった。
 「伝説」は高根沢町全域に伝承されている状況を確認することができたが、伝承内容がその一部であったり、かつてそういう話を聞いたことがあるという、いわば、伝説のかけらが残されている状態である。しかし、『高根沢郷土誌』(鈴木旭翠・小川寿々夢編、昭和三八年)や『高根沢町の伝説集』(古口利男、昭和六三年)「子どもが書いた ふるさとの伝説集」(ふる里運動実行委員会編、昭和五三年)など、先人たちの尽力によって貴重な記録が残されている。「昔話」や「世間話」は、どちらかというと地域の人間関係が織りなす喜怒哀楽を物語化して、人生の知恵として語り伝えるという性質を持っている。それに対して「伝説」は、地域社会に起きた事件を素材にして、地域の歴史や文化を語り伝えるという性質を持つ。また、かけらながらも伝承されている地域には、その伝説にまつわるほこらが作られていたり説明板が立てられていて、今も変わらない地域文化継承の篤い思いに触れることができる。高根沢町に「昔話」や「世間話」よりも「伝説」が強く伝承されてきたということは、高根沢町の風土が郷土の歴史を重視する気質が強いということを証明しているとも言えるであろう。
 これらの伝説を整理してみると、宝積寺や上阿久津・中阿久津などの西部地区には、鬼怒川水運を色濃く映し出している伝説や稲荷信仰に結びついた伝説が残されていることが分かる。大谷・石末や桑窪などには、川や沼など水を中心とした農耕信仰や農耕儀礼を反映した伝説が多く見られる。また、地名の由来を説く伝説や行商人や旅芸人にまつわる伝説が町内全域に分布しているのも、高根沢町の特色ではないかと考えられる。
 ここでは、先人たちが残された貴重な記録を顕彰するとともに、かすかながら現在も伝承されている伝説を収録することによって、高根沢町の生活文化を振り返り、さらに、これからの地域文化育成の手がかりになればと願い、伝説の特徴がよく出ている自然や人物を項目として整理し、補足解説を施して記録した。